(いのうえのうじょう)
【近代】
名古屋市中区の両替商井上徳三郎によって明治44(1911)年に猿投村四郷字東山に開設された農場。徳三郎は明治44年から数年間かけて東山の荒蕪地を130ha超購入し、移住者を募集した。移住者は小作農となり、新規開墾地では開墾着手後6か年の地代は無料とされた。大正8(1919)年時点では米と桑葉を生産するのみであったが、その後蔬菜を中心に多角化し、スイカ、大根、ネギ、ウドなども生産するに至る。大阪漬物会社との特約によりたくあんを生産するとともに、ほしな大根、猿投ウドのブランド化も実現した。また、取得用地の一部は愛知県猿投農学校や三河鉄道猿投駅のために寄付されている。大正13年の猿投駅開設に合わせて、駅前の耕地整理も実施した。昭和2(1927)年には勅使が訪れており、市域きっての農場に成長した。農場は敗戦後の農地改革によって解体されたものの、井上の名は豊田市井上町として残されている。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻544ページ