梅村源次郎  1868~1942

 

(うめむらげんじろう)

【近代】

醸造業者、梅源バス経営者。加茂郡東広瀬村生まれ。農業を営んでいたが、明治36(1903)年に東広瀬城下に梅村酒造本家を開業し、清酒醸造業を始めた。「梅正」、「英雄」などを発売。酒造組合長も務めた。明治39~45年に石野村会議員を務めたのち、大正3(1914)年から12年の郡制廃止まで西加茂郡会議員。交通の拡充に努め、矢作川西岸道路の県道移管や三河鉄道の西中金延伸に尽力したほか、道路改良や矢作川架橋に私費を投じ、昭和5(1930)年、それまで渡船で結ばれていた東西広瀬間に広梅橋を設置。また梅源バスを自ら経営し、昭和3年に広瀬-平畑、8年に広瀬-小渡を開通した。梅源病院も開設。昭和6年に紺綬褒章。石野村は梅村源次郎の功績を称え、昭和28年に「梅村源次郎翁頌徳碑」を広梅橋のほとりに建立した。


『新修豊田市史』関係箇所:4巻445ページ

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