(しんみかわてつどう)
【近代】
昭和2(1927)年9月から同12年12月まで存在した鉄道会社。同社の起源は、新三河鉄道発起人都筑峰太郎らが西加茂郡挙母町-名古屋市東区東大曽根町、愛知郡天白村-名古屋市中区広路町の36.5kmの鉄道敷設免許を取得したことにある。この競願路線として大曽根-猿投延伸を計画していた三河鉄道が、採算性の劣る同路線を取り下げた上で、都筑らの計画に参加することで具体化したのであった。創立時の取締役には三河鉄道の神谷伝兵衛らが就任している。昭和3年12月に、挙母-八事の工事施行認可を取得した。その後昭和4年6月、名古屋市内で千早-八事などの軌道と乗合自動車とを経営する尾張電気軌道を買収。だが、挙母-八事の工事は開始されず、名古屋市内での事業も上手くいかず、昭和12年3月、軌道部・自動車部ともに名古屋市に譲渡し、同年10月、挙母-八事の鉄道敷設権と郊外自動車線も三河鉄道に譲渡。昭和12年12月には会社自体が解散した。継承された免許のうち、赤池-八事が名古屋市営地下鉄鶴舞線として開業したのは昭和53年10月、梅坪-赤池が名古屋鉄道豊田新線として開業したのは昭和54年7月のことであった。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻685ページ