解題・説明
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大塚野新田は、以前、鶴ヶ島に存在した大字で、現在の富士見地区の一部になります。 太平洋戦争前年、昭和15年2月、関係住民に陸軍坂戸飛行場建設が知らされました。それはあまりにも唐突な話でした。2月3日、陸軍から第二小学校に集められ、その日の1回の話と同時に買収が決まってしまったそうです。その当時、当事者の方々は、陸軍の権力の前では何も権利は主張できませんでした。全戸移転を強いられた大塚野新田の住民は、脚折北部に移転し、五味ヶ谷の一部の方は同じ大字内に移転しました。 写真は、昭和15年頃の大塚野新田の様子を写したもので、地区内にあった御嶽講の塚に小学生が遠足に来た時の記念写真です。
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