今からおよそ1万2000年前までを縄文時代と呼び、この時代に使われた土器を縄文式土器といいます。市域における縄文時代の遺跡は比較的多く、飯盛川や大谷川の流域に草創期(約1万2000年~約9500年前)から晩期(約3200年~2200年前)までの遺跡がみられます。この時代の生業は基本的に、狩猟や漁労、植物性食物採集が中心で、季節に合わせ食物獲得活動が行われていたと考えられています。弓矢の発明で狩猟方法に変化が見られ、土器の発明により、調理法も多様化しました。早期(約9500年~約6800年前)以降竪穴(たてあな)住居が普及し、生活が定着化し集落を形成するようになります。この時代の市内の遺跡には、雷電池東遺跡・鶴ヶ島中学西遺跡(脚折)や新右衛門(しんうえもん)遺跡(高倉)などがあり、吊り手付土器や耳飾り等の珍しい遺物が出土しています。縄文時代晩期になると遺跡は市内ではほとんど見られなくなります。
縄文時代の石器
縄文土器