古墳時代

 3世紀中頃から7世紀の終わり頃までの古墳に象徴される時代を古墳時代と呼んでいます。市内において古墳として確かなものは終末期(7世紀後半)の築造とされる鶴ヶ丘古墳の3基だけです。このうちの2基は方墳で古代寺院建築の技法を取り入れた特徴をもっています。市内からは埴輪が発見されていないことから、前期に属する古墳はないものと考えられています。集落の発掘調査例は古墳時代前期からあり、この時代にはかなりの人が住んでいた形跡があり、上山田遺跡や羽折遺跡Aで集落跡が発見されています。生活の場所は飯盛川の微高地であり、川沿いの湿地帯で水稲栽培を行っていたと考えられます。土器の形も周辺一帯の土器と同じようになり、大きな勢力下のもとに集落が形成された様子がうかがえ、畑作栽培を含む本格的な農耕社会が成立したことが推測されます。

土師器


復元住居(雷電池児童公園)
古墳時代中頃(1600年~1300年前)脚折山田遺跡から発掘された竪穴住居跡を復元しました。


祭祀に使われたと思われる石製模造品と土器(脚折町・山田遺跡)


鶴ヶ丘稲荷神社古墳の石室(松ヶ丘境児童公園内復元)