鶴ヶ島市と坂戸市にまたがる若葉台遺跡は、この時代の代表的な遺跡です。若葉台遺跡は、8世紀初頭から9世紀後半にかけて営まれた遺跡で、掘建柱(ほったてばしら)建物跡や竪穴住居跡が200軒以上発見され、ぞの質量は近隣に類例がないほどです。帯金具(おびかなぐ)、奈良三彩(ならさんさい)、硯(すずり)、青銅(せいどう)製の鈴(すず)等一般の集落では例がないものが多く出土しています。こうしたことから、この遺跡の性格について、郡衙(ぐんが)説や豪族居館(ごうぞくきょかん)説、荘庁(そうちょう)説など特定施設があった可能性が考えられますが、いずれも決定的なものではありません。この遺跡は自然発生的な集落ではなく、計画的につくられた遺跡として考えられています。一方、同時代の遺跡である一天狗(いってんぐ)遺跡からは、この時期の漆紙文書(うるしがみもんじょ)が県内で初めて発見されています。他に同時期の遺跡として、仲道柴山遺跡(なかみちしばやま)(藤金)や雷電池東遺跡(脚折)等があります。
平安時代時代に入ると一天狗遺跡では文字が書かれた土器が数多く発見されています。
一般の集落からあまり発掘されない品々
下部左から鈴、帯金具(2)、奈良三彩土器片(2)、銅線、上部左から円面硯、炭火米
富士見・若葉台遺跡の発掘調査
糸をつむぐときのはずみ車(上段)漁労用の網のおもり
10世紀頃から、律令性のゆるみによって、土地制度は荘園制が一般的になり、中央政府の弱体化をよそに、任地に住み着いた国司や地方に下った有力貴族が勢力を拡大していきました。彼らは武装化をすすめ、武士団を形成しました。特に東国では在地の有力豪族が少なかったので、武士団は大きな勢力をほこるようになりました。