奈良・平安時代

 古代律令制下の本市は武蔵国入間郡に属していました(中世に高麗郡の範囲に入り、明治29年再び入間郡に復する)。この時期、大陸文化導入の影響のもとに、東国地方の豪族の間でも古墳を造立する一方で寺院建立の気運が高まりました。すでに7世紀後半には勝呂廃寺(すぐろはいじ)(坂戸市)が創建されています。奈良時代に入ると女影(おなかげ)廃寺、大寺(おおでら)廃寺、高岡廃寺(いずれも日高市)とつぎつぎに寺院が造られていきました。これらは、霊亀2年(716)の高麗郡設置との関連が考えられています。市内でも8世紀に入ると開発が進み、一天狗遺跡や若葉台遺跡など大規模な集落がつくられるようになりました。
 鶴ヶ島市と坂戸市にまたがる若葉台遺跡は、この時代の代表的な遺跡です。若葉台遺跡は、8世紀初頭から9世紀後半にかけて営まれた遺跡で、掘建柱(ほったてばしら)建物跡や竪穴住居跡が200軒以上発見され、ぞの質量は近隣に類例がないほどです。帯金具(おびかなぐ)、奈良三彩(ならさんさい)、硯(すずり)、青銅(せいどう)製の鈴(すず)等一般の集落では例がないものが多く出土しています。こうしたことから、この遺跡の性格について、郡衙(ぐんが)説や豪族居館(ごうぞくきょかん)説、荘庁(そうちょう)説など特定施設があった可能性が考えられますが、いずれも決定的なものではありません。この遺跡は自然発生的な集落ではなく、計画的につくられた遺跡として考えられています。一方、同時代の遺跡である一天狗(いってんぐ)遺跡からは、この時期の漆紙文書(うるしがみもんじょ)が県内で初めて発見されています。他に同時期の遺跡として、仲道柴山遺跡(なかみちしばやま)(藤金)や雷電池東遺跡(脚折)等があります。
 平安時代時代に入ると一天狗遺跡では文字が書かれた土器が数多く発見されています。

一般の集落からあまり発掘されない品々
下部左から鈴、帯金具(2)、奈良三彩土器片(2)、銅線、上部左から円面硯、炭火米


富士見・若葉台遺跡の発掘調査


糸をつむぐときのはずみ車(上段)漁労用の網のおもり

 10世紀頃から、律令性のゆるみによって、土地制度は荘園制が一般的になり、中央政府の弱体化をよそに、任地に住み着いた国司や地方に下った有力貴族が勢力を拡大していきました。彼らは武装化をすすめ、武士団を形成しました。特に東国では在地の有力豪族が少なかったので、武士団は大きな勢力をほこるようになりました。