No |
時代 |
年代・和暦 |
西暦 |
できごと |
区分 |
1
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旧石器
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約15000年前
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大谷川沿岸に生活が営み始める(三ツ木青棚、横田遺跡)
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原始
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2
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縄文
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約8000年前
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飯盛川沿いや雷電池周辺に人々が住み始める
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原始
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3
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縄文
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約4500年前
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脚折地区に人々が生活を営み始める
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原始
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4
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縄文
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約2500年前
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人々が生活した跡がほとんど見られなくなる(遺跡の数が減少)
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原始
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5
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弥生
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約1800年前(後期)
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高倉地区に弥生式土器を使う集落ができる(高倉小屋天神前遺跡)
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原始
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6
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古墳
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約1500年前
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羽折地区に集落が形成される
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古代
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7
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古墳
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脚折地区に大きな集落ができる(山田遺跡)
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古代
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8
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古墳
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鶴ヶ島古墳群が形成される
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古代
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9
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奈良
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天平13年
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714
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聖武天皇が国分寺・国分尼寺の造営を発願する(武蔵国分寺)
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古代
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10
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奈良
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霊亀2年
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716
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駿河など7力国の高麗人1799人を武蔵の国に移し高麗郡を置く
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古代
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11
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奈良
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市内各所に大集落が形成される(若葉台遺跡・一天狗遺跡等)
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古代
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12
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平安
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1100年代
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同族的在地地主が連合した武士団をつくった(武蔵七党)
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古代
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13
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鎌倉
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建久2年
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1192
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鎌倉幕府開かれる
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中世
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14
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鎌倉
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正応元年
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1288
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市内最古の板碑が脚折に造立される。このころ、高倉高福寺の不動明王画像が描かれる
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中世
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15
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南北朝
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1350~ 1390
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板碑が数多く造立される
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中世
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16
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室町(戦国)
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白髭神社十一面観音像が造られる
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中世
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17
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室町(戦国)
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文明18年
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1486
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川越城主太田道灌が上杉定正に殺害される
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中世
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18
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安土桃山
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天正18年
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1590
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徳川家康関東に移封される
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近世
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19
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安土桃山
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慶長5年
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1600
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関ヶ原の戦い。徳川氏の覇権決定的になる
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近世
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20
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江戸
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慶長8年
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1603
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江戸幕府開かれる
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近世
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21
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江戸
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慶安元年
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1648
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川越藩で総検地。市域では脚折、太田ヶ谷、三ツ木、高倉村の検地帳が残る
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近世
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22
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江戸
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慶安元年
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1648
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広谷村上・下2村に分村
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近世
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23
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江戸
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元禄10年
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1697
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市域の村の多くが藩領から幕府領と旗本領となる
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近世
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24
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江戸
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享保7年
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1722
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江戸日本橋に新田開発奨励の高札立てられる
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近世
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25
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江戸
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元保4年
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1739
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川崎平右衛門、武蔵野新田世話役に命ぜられ、新田開発にあたる
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近世
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26
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江戸
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明和元年
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1764
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伝馬騒動。村内の名主宅打毀しにあう
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近世
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27
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江戸
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天明6年
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1786
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天明の大飢謹
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近世
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28
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江戸
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文化2年
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1805
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関東の農村治安乱れる。関東取締出役設置
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近世
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29
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江戸
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文政10年
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1827
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文政改革により組合村設置。市域の村々は石井村(坂戸市)寄場組合に入る
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近世
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30
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江戸
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安政2年
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1855/10
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安政大地震(10月)。市域の村でも家屋倒壊、出火等の被害
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近世
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31
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江戸
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慶応2年
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1866
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武州一揆。上新田村や脚折村で打毀し
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近世
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32
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江戸
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慶応4年
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1867
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大政奉還
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近世
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33
|
江戸
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慶応4年
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1867
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神仏分離令。高倉村の高福寺・長泉寺、上新田村の長福寺、下新田の宝泉寺、太田ヶ谷村の常福寺、藤金村の長龍寺が廃寺になる
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近世
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34
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明治
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明治4年
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1871/7
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廃藩置県(7月)。市域の村は、人間・前橋・古河の三県に属した
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近代
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35
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明治
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明治5年
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1872
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学制公布
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近代
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36
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明治
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明治6年
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1873
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太田ヶ谷学校設立
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近代
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37
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明治
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明治7年
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1874
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広谷学校設立
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近代
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38
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明治
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明治8年
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1875
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鶴ヶ島小学校設立
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近代
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39
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明治
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明治9年
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1876
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熊谷県廃止。村々は埼玉県に属す
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近代
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40
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明治
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明治11年
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1878
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三新法体制下で村が復活。戸長や学務委員が民選になる
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近代
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41
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明治
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明治17年
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1884
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連合戸長役場を脚折村に置く
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近代
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42
|
明治
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明治17年
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1884
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太田ヶ谷学校、鶴ヶ島小学校に合併。上広谷分教室(正音寺)、上新田分教室(長福寺跡)が開かれる
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近代
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43
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明治
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明治17年
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1884/7
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14の村が連合して上広谷村連合成立(7月)
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近代
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44
|
明治
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明治22年
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1889/4/1
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鶴ヶ島村誕生(4月1日)
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近代
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45
|
明治
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明治22年
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1889/7
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上新田分教室が、鶴ヶ島尋常小学校(旧鶴ヶ島小学校)に統合される(7月)
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近代
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46
|
明治
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明治23年
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1890
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第1回帝国議会招集
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近代
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47
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明治
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明治25年
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1892
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上広谷分教室、第二鶴ヶ島尋常小学校として開校
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近代
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48
|
明治
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明治26年
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1893
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鶴ヶ島尋常高等小学校開校
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近代
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49
|
明治
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明治27年
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1894
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日清戦争始まる。村から15人出征、内1名戦死
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近代
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50
|
明治
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明治29年
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1896
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高麗郡廃止され、鶴が島村は入間郡に編入される
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近代
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