宇部市の絵巻物語
絵画の一つである「絵巻」は、紙を水平につなぐことにより長大な画面を作り、情景や物語などを連続して表現した歴史資料です。紙資料としての絵巻は広げては巻き戻して閲覧するために、一度に描かれているすべての場面を見ることができませんが、デジタルミュージアムでは絵巻の全体を鑑賞しつつ、絵画の詳細にズームすることが可能になりますここでは宇部市にある絵巻資料のうち「紙本着色八幡縁起絵巻」と「御撫育用水溝筋明細図絵」を紹介いたします。
紙本着色八幡縁起絵巻(横瀬八幡宮)
小野の横瀬八幡宮に伝わる縁起絵巻であり、巻子仕立て、上下二巻からなる。
材料は厚手の楮紙を用い、絵は彩色を施す。縦は35.7cm、総長は上巻18.67m、下巻13.73mを図り、上下巻で32mにもなる大作です。二巻一緒に二重箱に納められ外箱・内箱ともに接合部の稜角はくぼみをつけた漆で接着し、ていねいな細工で、室町時代の様子を見せる。外箱の蓋裏と内箱の身の底に「長州厚東郡末延郷四ヶ小野横瀬八幡宮永々流通者也、八幡大菩薩御縁起 二巻、永正十三年丙子五月十一日、勧進沙門徳在 敬白」との墨書がある。沙門徳在は他に知見がなく、その履歴ははっきりしないが、おそらく社坊の住侶で、その勧進によって書写がなされ社納されたものと推測される。
縁起の構成は詞書と絵とを交互に配置し、その内容は一般の八幡縁起と同様で、上巻には神功皇后の三韓征伐、下巻には八幡宮の創立記・利生記を描いている。奥書はないが、箱書きの永正13年(1516年)ころの製作のものと見てよいと思われる。
絵は土佐派の様式を持ち、武士の甲冑などの描写も華麗かつ精緻で、林泉の表現は写実的な手法を用い、作者はかなり熟達した画工と思われる。詞書の文字もていねいで筆力があり美しい。
宇部市内の八幡宮絵巻の中では唯一山口県指定の有形文化財に指定されています。
※高精細画像では、をクリックすると現代語訳が表示されます。
御撫育用水溝筋明細図絵
この古文書は、宇部市の厚南平野に流れる御撫育用水の川筋を描いた絵図で、文政5年(1822年)に作成されたものです。御撫育用水は撫育方の工事により、天明8年(1788年)に着工し、寛政4年(1792年)に絵図に描かれている中野開作までが完成、安政6年(1859年)に妻崎新開作まで全面開通しました。この用水の開通により水利が飛躍的に良くなり、地元の人々は感謝をこめてこの用水路を「御撫育用水」と呼び、現在までもその名称が残ります。紙面には用水路沿いの川や道などの地理的情報と、用水路に面した土地の所有者の名前と石高等の記載があり、用水路とそれを使用していた人々の管理台帳的な役割も果たしていたと考えられます。
制作年代については別紙に文政5年(1822年)の記載があります。中野開作の完成は寛政4年(1792年)であるが、絵図面内に文政4年(1821年)に完成した辰ノ口隧道が描かれているため、その年以降の作成と推定されます。
絵巻は水路の管理を行った地元に残り、現在は宇部市御撫育土地改良区(旧称 中野開作御撫育土地改良区)が所有してます。