奥書翻刻
「山王祭礼図絵奥書」
右図(ず)する所ハ、當所拝嶋村惣鎮寺
日吉山王大権現神輿出御乃(みこししゅつぎょの)行列也、抑(そもそも)當社
神輿の事、別當見(現)住順栄年久しき志願にて、
相催といへとも時至らす(ず)して延引す、しかるに當
明和四丁亥年氏子等と相はかりて、當八月ゟ(より)して
男女老少をゑらはす(ばず)、一月一銭のたからを捨て
此 神輿を新に営造し、ならひ(び)に社頭を
修理せん事を勧(すす)む、衆人皆 神輿のまづ
成る事をよ(読)みして一諾す、是に依て當九月
十九日初而(はじめて) 神輿出御まいます時、件(くだん)の
とをりの行粧を成し 神事をいとなひ(み)
神慮をすすし(清)め奉るものなり、此事末(すえ)の
世にも残れかしとて、かくのこ(ご)とく図せしむる
ものなり
明和四丁亥歳九月中申(さる)日
別當拝嶌山見(現)住竪者法印
順栄記
導師 圓通寺
宝積寺 神輿細工師
西光寺 江戸坂本壱町目
宝印寺 大佛寺
金蔵寺 桜井右近定音
観音寺 同苗定之丞
養福寺
圓福寺
本覚院
大善院
興善院
中正房
了因房
少 弐
普明寺
惣氏子中
以上