目次
全て展開する
第一編 自然・地理(準備中)
第二編 原始・古代
序説
行橋市の歴史・地理的位置
原始・古代とは
人間と環境
地域史としての原始・古代
第一章 京都平野のあけぼの―旧石器時代―
第一節 日本列島における人類の登場
一 旧石器時代の人々
1 人類の出現
2 日本列島への人類の渡来
二 旧石器時代の時期区分とその文化
1 日本の旧石器時代研究
2 最古の旧石器文化
3 旧石器時代の時期区分
前期~中期旧石器時代
後期旧石器時代
4 旧石器文化の特徴と発展
5 旧石器文化の終焉
第二節 京都平野の最古の住人たち
一 旧石器時代の自然環境
1 氷河期の自然環境と人類
2 京都平野の自然環境
二 旧石器時代の京都平野
1 豊前地域の旧石器文化
2 行橋市域の旧石器文化
●第一章参考文献
第二章 自然の恵みと人々のくらし―縄文時代―
第一節 列島が育んだ原日本文化
一 時期区分
草創期
早期
前期
中期
後期
晩期
二 縄文時代の自然と社会
第二節 京都平野の縄文時代
一 縄文時代の自然環境
二 京都平野の縄文遺跡
1 集落と生産
草創期から早期
前期から中期
住居跡が急増する後期
晩期
2 祭祀
3 装身具
4 墓制
●第二章参考文献
第三章 京都平野の弥生の農耕社会―弥生時代―
第一節 弥生文化の形成と発展
一 稲作農業の始まり
二 弥生時代の時期区分
三 新しい道具と思想
四 クニ(国)の成立と展開
第二節 京都平野の農耕文化
一 弥生のムラの成立
長井遺跡出土の弥生前期土器
夜臼(ゆうす)式土器と板付式土器
弥生文化の伝播経路
人骨が示す弥生時代人
豊前地方の弥生時代研究
辻垣遺跡群の調査
弥生前期の集落動態
二 下稗田遺跡にみる人々のくらし
出土遺物にみる当時の自然環境
アワビ製品原産地とその目的
山の幸・大地の幸
時期ごとの移り変わり
村落の発展
三 弥生土器の世界
京都平野土器文化圏
京都平野最古の弥生土器群
火襷(ひだすき)文土器
弥生前期土器の展開
華麗な貝殻装飾文
弥生時代中期土器
須玖式土器の出現と定着
弥生時代後期土器の簡素化
外来系土器と在地系土器
四 石器・鉄器・木器の生産と流通
大陸系磨製石器の導入
縄文系統の石器
下稗田遺跡にみる石器の変革
大陸系磨製石斧にみる石材
石庖丁にみられる石材の画一化
京都平野周辺の石材産地
木製品が出土する環境
木製品の種類と用途
木製品の素材
木製品に残る加工の痕
木材の中の位置
初期の鉄製品
鉄製品の再加工
五 農耕集落の発達
平地に出現する農耕集落
ヤマのムラとサトのムラ
弥生時代後期の集落
六 弥生時代の文化交流
特殊な遺構・遺物
朝鮮半島土器文化の影響
船の絵画土器
周溝状遺構の伝播
朱を通してみる四国との交流
第三節 東アジアの世界と弥生の国々
一 中国王朝と北九州の国々
中国の史書に記された「日本」
交流―朝鮮半島系の宝器
交流―中国大陸系の遺物
国の成立―環溝集落と方形区画
甕棺墓の盛行
墳丘墓の発見
「漢倭奴国王」の時代
二 国形成期の豊前
京都平野の遺跡
山国川流域の拠点集落
京築地域出土の大陸・半島製品
三 邪馬台国時代の豊前
邪馬台国の年代
『魏志』の国々
庄内式土器の時代
土器の移動
邪馬台国時代の豊前地域
第四章 ヤマト王権と京都平野の豪族たち―古墳時代―
第一節 時期区分と画期
古墳時代
三区分法
二区分法
地域研究における時期区分
終末期の設定
第二節 ヤマト王権の成立と前方後円墳(前期古墳文化)
一 弥生時代から古墳時代へ
時代の変遷を映す墳墓
纏向(まきむく)型墳丘墓
前方後円墳の出現
二 前方後円墳体制と豊前
北部九州における古墳の出現
京都平野の弥生墳丘墓
行橋市周辺の前期古墳
山国川流域の前期首長墓
景行天皇の巡幸説話
三 豊前地域の豪族
1 文献史料にみえる豪族
国造制
国造の職掌
筑紫国造
国造制の終焉
新国造
県主
稲置
2 文献史料からみた九州の豪族
豪族の諸類型
第三節 古墳文化の変貌(中期古墳文化)
一 東アジアの中の九州
四世紀の対外交渉
宗像・沖ノ島祭祀
五世紀の対外交渉
中国王朝の冊封体制
治天下大王(あめがしたしらすおおきみ)
半島の緊張関係と新式甲胄
京都平野の軍事組織
行橋市内出土の甲胄
行橋市内出土の鉄刀
行橋市内出土の鉄鏃
騎馬文化の導入
海を渡ってきた人々
眼炎(まかがや)く金銀の装身具
五世紀の技術革新
須恵器の始まり
二 新しい墓制の到来
墓制の革新
最古の横口式石室
横穴式石室の源流
三 九州型古墳文化の形成
竪穴系横口式石室
横口式家形石棺・横口石棺式石室
横穴式石室
肥後型(石障系)石室
複室構造の横穴式石室
三室構造の横穴式石室
横穴式石室の諸相
京都平野の横穴式石室
装飾古墳
石棺系装飾
石障系石室
壁画系装飾
横穴系装飾
古墳表飾・石人石馬
石棺のブランド化
第四節 首長墓と群集墳(後期古墳文化)
一 筑紫君磐井と豊前地域
磐井の乱の伝承
磐井の墓
磐井の乱前夜の豊前
二 ヤマト王権の九州支配
屯倉の設置
糟屋屯倉
那津官家(なのつかんが)の整備
三 群集墳の出現と竹並横穴墓群
群集墳の急増と歴史的意義
京都平野の群集墳
横穴墓の源流
京都平野の横穴墓
横穴墓の変遷
竹並横穴墓群出土環頭柄頭
古墳・横穴墓に埋葬された人々
四 首長墓の変遷
京都平野の首長墓
苅田地区の分布
小波瀬川上流域
長峡川上流域
井尻川上流域
今川・江尻川流域
祓川下流域
首長墓の変遷
五 古墳時代の文化と交通
交通の要衝
京都平野の交通上の特質
六 古墳時代の終焉
前方後円墳から方墳へ
長方形墳から方形墳へ
京都平野の方墳
畿内系土師器(きないけいはじき)の導入
大化の改新と薄葬令
唐の薄葬思想
薄葬令の実効性
北部九州の終末期古墳
京都平野の終末期古墳
モガリ(殯)
風水思想と終末期古墳
火葬墓の出現
京築地方の火葬墓
第五節 人々のくらしと生産活動
一 住居と生活
竪穴住居
五世紀代の住居
六世紀後半~七世紀初頭の住居
掘立柱建物
食生活
衣服と装身具
集落のまつり
二 生産と流通
埴輪
須恵器
鉄
塩
玉
●第四章参考文献
第五章 律令国家の展開と豊前地域―古代―
第一節 律令制の成立と大宰府
一 大宰府の成立
那津官家
筑紫大宰
大宰府の成立
大宰府の構造
大宰府の機能
二 地方行政組織について
国郡里制
律令制下の行橋市域
京都郡と仲津郡の『郷』
三 大隅国成立と豊前国からの移住
律令国家と隼人国
大隅国の成立と豊前国からの移住
ヤマト政権と豊前・肥後地方
豊前からの文化移植
鹿児島神社
韓国宇豆峯神社
四 大宝二年豊前国戸籍断簡
戸籍・計帳
豊前国戸籍断簡
美濃国戸籍との比較
大隅国移住者の原郷
豊前国三戸籍の比較
五 国府と郡家
国府の構造
国府の所在
国府の発掘
国府の問題点
仲津郡家と京都郡家
国津と国府津・郡津
六 古代の官道
駅路と伝路
『延喜式』駅路の復元
田河駅から多米駅へ
多米駅から築城駅へ
多米駅から到津駅へ
『延喜式』以前の駅路
伝路について
七 京都郡・仲津郡の条里
条里とは何か
京都郡の条里
仲津郡の条里
第二節 御所ケ谷神籠石と七世紀の国防
一 七世紀の東アジア情勢
動乱の東アジア
百済の滅亡と倭国の出兵
二 国防政策と古代山城
敗戦後の倭国の防衛体制
日本の古代山城について
各地の古代山城
神籠石とは何か
神籠石式山城築造の契機
豊前地域の古代山城
三 御所ケ谷神籠石
調査・研究史
遺跡の位置
遺跡の現況
土塁の調査
第二東門の調査
御所ヶ谷神籠石の特徴
第三節 花開く仏教文化
一 渡来系氏族の活躍
豊前国戸籍断簡と渡来系氏族
秦氏
秦氏の支配組織-勝姓者
秦氏と鉱産-銅生産
香春岳と新羅神
二 椿市廃寺と豊前の初期寺院
仏教の伝来と寺づくりのはじまり
地方の造寺活動の背景
豊前地域の古代寺院
椿市廃寺の調査
椿市廃寺の瓦
建立時期と寺の造立者について
地方寺院造立の実態
三 国家仏教と豊前国分寺
1 国家仏教の普及政策
七世紀代の普及活動
八世紀前半の仏教活動
2 国分寺の造営
国分寺建立の詔
隋・唐官寺制度との関係
国分二寺の完成
3 豊前国分寺の成立
西海道の国分寺
豊前国分寺跡の調査
豊前国分尼寺跡の調査
国分寺の創建古瓦
第四節 律令体制の変容
一 藤原広嗣の乱と豊前の動向
乱の経過
乱の性格とその背景
乱と鎮の所在地
乱後の筑紫の動向
二 律令社会の動揺
大宰府機構の変質
「交易」と鴻臚館
公田支配の変質
平氏と大宰府府官
三 藤原純友の乱
乱の概要
乱の鎮圧
乱と「壁」
乱と逃亡路
四 刀伊の入冦
事件の概要
来襲の目的
大宰府軍の対抗戦術
刀伊賊の討伐軍
「糸島水道」
事件後の処置
五 平安期の軍事体制
「健児制」
「俘囚防人」
「国衙軍制
(5)
」の成立
第五節 人々のくらしと産業
一 衣食住と集落
貧窮問答歌
衣
食
住
集落
二 生産活動
農業と耕作地・用水路
金属生産
瓦生産
瓦の製作
軒平瓦の製作-四枚づくりから一枚づくりへ
軒丸瓦の製作
鴟尾(しび)の製作
登窯から平窯へ
製塩
焼き物の生産
高来井正丸遺跡
三 墳墓
誕生の習俗~胞衣壺(えなつぼ)
京の墳墓
風水と墳墓
火葬墓の普及-古墳から火葬墓へ
豊前地方の古代墳墓
第六節 京築地域の信仰と祭祀
一 神祇信仰
1 形代遺物
原始神道と遺跡
祭祀遺物の種類
住居付属祭祀
古墳付属祭祀
祭祀遺物発見地
2 豊前の式内社
式内社とは
豊前国式内社
宇佐神宮
香春神社
3 宇佐八幡と京筑地域
(一)宇佐宮社殿と神輿の造営
三三年一度の式年造営
御炊殿(下宮)の造営
神輿の造営と行幸会
(二)宇佐宮放生会と細男の舞
宇佐宮放生会の起源
弁分と細男役
二つの細男の舞
(三)宇佐宮の荘園
宇佐宮荘園の成立
京築地域の宇佐宮領
二 山岳信仰(原始修験)
原始信仰
豊前地域の霊山
英彦山
求菩提山
普智山
三 経塚の営造
埋経の意義
経塚の出現
経塚の流行と形態
写経の形態
京築地方の経塚
●第五章参考文献
第三編 中世
総説
第一章 中世行橋市域における歴史的動向
第一節 平安時代後期の荘園と国衙
一 中世的荘園の成立
一〇~一一世紀の動向
弥勒寺領荘園と宇佐神宮領の展開
二 国衙勢力の動向
一二世紀初頭に至る動向
鳥羽院政と荘園政策
平氏と荘園政策
第二節 鎌倉幕府と京都平野
一 御家人勢力の台頭
宇都宮氏の登場
武藤氏の進出
京都平野の国御家人
二 モンゴル襲来と北条氏勢力の台頭
モンゴル襲来と京都平野
北条氏勢力の伸長
稗田氏・武藤吉田氏・安東氏
第三節 南北朝の争乱と京都平野の動向
一 室町幕府の成立と観応擾乱
鎌倉幕府の滅亡
室町幕府の成立と京都平野
鎮西管領・一色氏の登場
観応の擾乱と足利直冬の動向
二 征西将軍府の消長
征西将軍府の進出と少弐氏
征西将軍府の隆盛
今川了俊の鎮西下向
第四節 豊前守護大内氏の登場
一 大内氏の豊前掌握
大内義弘の豊前進出
今川了俊の失脚
大内盛見の豊前回復
盛見と京都平野
二 永享の動乱
盛見の敗死
大内持世の登場
第五節 応仁・文明の乱と大内政弘
一 大友親繁の進出
大内政弘
大内政弘の留守を攪乱
大友親繁の豊前侵攻
大内道頓、馬ヶ岳で敗死
加嘉丸の取り立て
大内政弘の反撃
覗山合戦
東軍の内紛
政弘、豊筑奪還
『海東諸国紀』
撰銭令
政親と親豊の対立
大友政親の自害
大友氏の家督をめぐって
前将軍義稙の上洛
防戦する佐田泰景
大内勢渡海する
二 大内義隆の反撃
妙見岳城の合戦
西郷氏の活躍
沓尾崎合戦
馬ヶ岳城の攻防
障子ヶ岳城
朽網親満の乱と道場寺
挙兵の失敗
三 今井津
今井津
津の機能
密集する寺社
米相場
金屋
真継久直の事件
鉱山と金山
四 義隆と豊前
大内義隆、菊池義武を支援
大友義鑑、豊前へ侵入
勢場が原の合戦
公方義晴の講和斡旋
義隆と国人衆
五 国人衆と宇佐宮
京都平野の神々と宇佐宮
中臣郷と宇佐宮
大内氏と宇佐宮
国人衆と宇佐宮
氷上山興隆寺の修二月会
第六節 毛利と大友の抗争と戦国時代
一 大内義隆の滅亡
義隆の自害
毛利元就のおいたち
毛利両川体制の確立
厳島の合戦
大内義長の自害
義長の豊前国支配
秋月文種の焼き討ち
二 大友・毛利の戦闘
豊後勢、龍王城を包囲
今井、小倉などの狼藉
城井右馬助の宅所へ放火
山田安芸守宅所、同山田城を攻める
馬ヶ岳城の攻防
秋月文種の自害
三 大友義鎮の絶頂期
田原親宏、京都郡に出陣
義鎮、豊前国守護となる
西郷隆頼の挙兵
波多野興滋親子討ち取られる
仁保左衛門大夫隆慰、門司城督となる
四 門司城合戦
永禄四年の門司城争奪戦
蓑島で合戦
豊後勢、門司表より敗走
毛利勢、松山城に入る
松山城の攻防
高橋鑑種の去就
筑前国が毛利方支配下に
方角衆、道場寺に在陣
幕府の和睦調停
長野筑後守の取り扱いについて
立花鑑載、毛利に通じる
毛利、門司城を死守
長野氏の城
仁保隆慰、宮尾城から敗走
毛利方の長野城攻め
苅田表の合戦
立花城争奪戦
大内輝弘の奇襲
毛利勢、立花城より撤退
高橋鑑種の小倉移封
毛利元就の言い訳
毛利、松山城を放棄
豊前国各地で激戦
五 反大友抗争と毛利の動向
島津家久の上京旅行
毛利元就の戦略
大友家の弱体化
秋月種実の台頭
豊前国人衆の動き
田原親宏、国東に帰る
秋月種実、豊前国の切り取りを開始
蓑島合戦
福原貞俊の取り成し
「長野助守覚書」
秋月種実・高橋元種・長野助守の連合
六 統一政権と豊前
大友宗麟、救援を求める
毛利輝元に出陣命令
馬ヶ岳城主長野三郎左衛門帰順
秋月を撃退
黒田孝高、松山城に入る
豊臣秀吉、小倉城に入る
●第一章参考文献
第二章 中世京都平野の人々と暮らし
第一節 京都平野の荘園と村
一 古代以来の要地 稲童名
大蔵流高瀬氏の支配
武藤氏の登場
鎌倉幕府の滅亡と武藤吉田氏の動向
和布刈神社領へ
二 天生田荘とその周辺
天生田荘と本間文書
天雨田氏による支配
得宗被官安東氏の進出
北条氏と京都平野
南北朝期の天生田荘
室町時代の天生田荘
戦国時代の天生田
近世初頭の安東氏
三 大野井荘と宇佐弥勒寺領荘園
大野井荘の成立と構造
荘園領主石清水八幡宮
在地領主の動向
南北朝の争乱と大野井荘
室町時代の大野井荘
四 大野井荘の現地を歩く
1 大野井荘に残る中世地名
二つの郡にまたがる荘園
王埜八幡神社
殿屋敷
竹ノ下
ツクダ(佃)
宮田・神田口
井料
坪地名
五月田・六月田・霜月田
市場
2 現地をふまえて文献を読む
五 津熊荘の現地を歩く
天文帳にみる津熊荘田積の概要
年貢の行方
津熊荘の名田と地名、河成・不作・神田の分布
六 入覚・別所の現地を歩く
七 久保荘の用尺と舞童田
1 安定した収量の田 用作
上稗田の用尺
2 史料と地名の舞童田
第二節 京都平野の都市と文化
一 大橋
大橋太郎と大橋
室町・戦国期の大橋
二 今井津
今井津と須佐神社
南北朝の今井津
鋳物師集団の活動
時宗寺院の登場
海運の発展と海賊衆
戦国の争乱と今井津
都市民の成長
大友・毛利両氏の攻防
村上良慶と浄喜寺
●第二章参考文献
第三章 京都平野の城郭と遺跡
第一節 城郭
一 中世山城
二 行橋市内の山城
元永城
蓑島城
沓尾崎城
覗山城
佐伯陣
宝山城
矢山城
高来城
馬ヶ岳城
三 京都郡・仲津郡の主な山城
松山城
等覚寺城
障子ヶ岳城
尾倉山城
神楽城
西郷城
大坂山城
第二節 集落・墳墓
1 金屋(かなや)遺跡(行橋市大字金屋字金屋)
2 羽根木古屋敷(はねぎふるやしき)遺跡(行橋市大字羽根木字古屋敷ほか)
3 馬場村後(ばばむらご)遺跡(行橋市大字馬場字村後ほか)
4 辻垣下出口(つじがきしもでぐち)遺跡(行橋市大字辻垣字下出口)
5 福富小畑(ふくどみおばた)遺跡B地点(行橋市西泉三丁目)
6 鬼熊(おにくま)遺跡(行橋市南泉五丁目)
7 大谷田淵(おおたにたぶち)遺跡(行橋市大字大谷字田淵)
8 天生田矢萩(あもうだやはぎ)遺跡(行橋市大字天生田字矢萩ほか)
9 内屋敷(うちやしき)遺跡(行橋市大字津積字内屋敷)
10 下稗田台ノ下(しもひえだだいのした)遺跡(行橋市大字下稗田字台ノ下)
11 下稗田森(しもひえだもり)遺跡(行橋市大字下稗田字森ほか)
12 前田山(まえだやま)遺跡(行橋市大字前田・大字上検地)
13 徳永法師ケ坪(とくながほうしがつぼ)遺跡(行橋市大字徳永字法師ケ坪)
14 徳永泉(とくながいずみ)古墳(行橋市大字徳永字泉)
15 高来井正丸(たかくいしょまる)遺跡(行橋市大字高来字井正丸ほか)
16 高来小月堂(たかくこづきどう)遺跡(行橋市大字高来字小月堂ほか)
17 入覚上畔(にゅうがくうえのて)遺跡(行橋市大字入覚字上畔)
18 入覚秋光(にゅうがくあきみつ)遺跡(行橋市大字入覚字秋光)
19 鳥井原(とりいばる)遺跡(行橋市大字下崎字鳥井原)
20 入覚・妙見社(にゅうがく・みょうけんしゃ)(行橋市大字入覚字別所の西)
●第三章参考文献
第四編 近世
総説
一 豊臣秀吉の大名配置
秀吉の九州出兵
黒田氏の入国
二 徳川政権下の大名配置
関ヶ原合戦と黒田氏の動向
細川氏の入国
小笠原氏の入国
三 小倉藩の治世
土地と領民の統治
郡方行政機構の整備
天災と農村の疲弊
農村の復興に向けて
四 幕末・維新への動乱
藩政の動揺
小倉口の合戦
維新への道のり
第一章 豊臣政権下の豊前
第一節 豊臣秀吉の九州平定
一 中世末の豊前
大友領国の動揺
島津氏の北上
二 豊臣秀吉の九州平定
毛利氏の九州上陸
島津氏の降伏
九州の国分け
第二節 黒田孝高の豊前支配
一 黒田孝高の豊前入国
黒田氏の系譜
黒田孝高の豊前入国
豊前一揆
城下町中津の建設と知行割
長政の家督相続
二 朝鮮出兵と黒田氏
文禄の役
講和交渉と倭城の建設
慶長の役
三 関ヶ原の戦いと黒田氏
朝鮮出兵後の中央政局
徳川家康の会津出兵
関ヶ原の戦と黒田長政
九州での如水の活躍
●第一章参考文献
第二章 藩の成立と藩政の確立
第一節 細川氏の入国と治政
一 入国時の混乱と検地
細川氏の概略
領地の引き継ぎ
慶長六年検地と知行地の配分
二 藩政の整備
細川忠興・忠利の治政
知行地の支配
家臣の農民把握
逃亡者の返還交渉
三 家臣の財政事情
困窮する家臣
重臣の再建計画
知行地の放棄
四 農村政策
人口増加対策
「人畜改帳」
「走り者」の続出
年貢の納入と未進
細川氏の廻米・財政事情
第二節 小笠原氏の系譜と初期藩政
一 中世の小笠原氏
小笠原氏の系譜
室町幕府弓馬師範・京都小笠原氏
小笠原一族の発展と分裂
嘉吉の内乱
小笠原長時の流浪
小笠原氏の深志奪還と関東移封
大坂の陣
明石転封
二 豊前入部と初期藩政
細川氏の肥後転封
小笠原忠政の豊前入部
初期の大庄屋
細川検地帳
水帳改正
細川時代の遺制-反別麦-
支藩の分封
地方知行の廃止
●第二章参考文献
第三章 藩政の展開と農村社会
第一節 村の生活と文化
一 はやり病と村の医者
はやり病
地域限定のはやり病
家伝の秘薬を持つ医師
福田東庵
福田芳洲
二 サネモリと鯨油-稲虫退治-
虫風・蝗風
虫送り
実盛人形・鉦・太鼓・喊声
注油法
注油法の伝播
農書の役割
三 村の役人
最後の国作手永大庄屋
白石治右衛門のキャリア
沓尾守田氏
代々の村役人
村役人のプライド
四 義人伝
官刻『孝義録』
『孝義旌表録』
打ちこわしのリーダー
第二節 年貢のしくみ
一 石高制と田畠への課税
石高制と石高の変遷
課税対象と税の種類
二 本年貢と徴税のしくみ
石盛・免率村位など
内高について
本年貢の徴収法と付加税
減税
小倉枡と京枡
三 四つ高および高掛物
四つ高
差上米
二朱五厘米
五歩種子利米
四 その他の税
鶏卵代反別麦
米小物成
銀小物成
商活動への課税
第三節 災害と飢饉
一 一八世紀の災害
享保の飢饉
享保飢饉の死者
天明の飢饉
二 一九世紀の災害
文政一一年六月の大洪水
大橋の大火
文政一一年八月の大風
天保七年の凶作
第四節 利水
昭和三五年の溜め池と井堰
井出樋と汐樋・水吐樋
池樋と立樋
第五節 新田開発
一 概観
近世後期の既存農地荒廃と干拓
行事川・今川・金屋川・祓川の河口干拓
二 大橋村の新地
今川の治水と新地
想定される開発の順序
大新地・沖新地
寅新地
三 金屋村の干拓
辰新地
卯新地
四 今井村の干拓
清兵衛新地
奥清右衛門伝
平井新地
五 今井村文久新地
干拓の開始
計画図作成
役割分担
文久新地の潮止め
その後の経過
文久新地の入植者
●第三章参考文献
第四章 藩政時代の産業・経済・交通
第一節 街道と宿駅
一 近世の街道と宿駅
二 小倉城下町と五つの主要道
三 中津道
四 中津道以外の脇街道
第二節 古図に見る行橋
一 官撰地図の歩み
二 正保の豊前国絵図
正保国絵図
正保の豊前国絵図に描かれた行橋
三 元禄の豊前国絵図
元禄国絵図の概要
元禄国絵図に描かれた行橋
四 天保の豊前国絵図
天保国絵図の概要
天保国絵図に描かれた行橋
正保・元禄・天保の国絵図三時点変化
第三節 在郷町・大橋
一 今川の治水と大橋
近世前史
旧今川河道
正保国絵図の今川
二 大橋の伝説と町の起こり
大橋太郎伝説
町の起こり
馬の多い村
三 大橋御茶屋
細川時代の大橋御茶屋
小笠原時代の大橋御茶屋
大橋御茶屋番
大橋御茶屋とゴミ
四 高札場
高札
小倉藩の高札場
大橋村の高札場
五 大庄屋役宅
国作手永大庄屋役宅
大破した役宅
役宅の新築
六 その他の公的施設
大橋御蔵
手永宿
牢屋
七 忘れられた情景
第四節 在郷町と水運
一 紀行文にみえる在郷町大橋
在郷町
旅人が見た大橋町
二 近世初頭の大橋と行事
人畜改帳に見える町
町と村
三 在郷町の形成
町場の成立
町人の出自
四 在郷町商人の系譜
飴屋の系譜
柏屋の系譜
商人への道
町場の商人
五 大橋町と商家
大橋町の支配
町庄屋
大橋町の商家
六 小倉藩の浦
浦と水夫役目
沓尾浦と蓑島浦
七 長峡川の水運と蓑島海運
長峡川水系
仲津郡の船
船の種類
海運業の発達
八 今川の水運
今川の利用
石坂の普請
舟路川の利用
第五節 商品作物の生産と流通
一 江戸時代の市場構造と蔵米販売
市場構造
小倉藩の蔵米販売
米の集荷と輸送
船による輸送
二 商品作物の生産と流通
小物成
綿と綿実座
綿実の上方輸送
三 在郷町商人と大坂市場
幕府の政策
菜種子
菜種子の生産
菜種子の大坂回送
第六節 在郷町商人の活躍
一 小倉藩の経済事情と藩札の発行
江戸時代の貨幣
細川氏時代の貨幣
寛永通宝と貨幣の全国統一
藩札の発行
平野屋札の発行
二 国産仕法と天保の御改法
文政期の国産仕法
天保の国産仕法
天保国札の発行
商人私札の発行
私札通用の禁止
郡方御改法
三 国産奨励と販売
産物の生産と櫨植樹
生蝋と板場
飴屋の生蝋販売
●第四章参考文献
第五章 藩政時代の教育・文化
第一節 村上仏山と水哉園
一 庶民教育
近世の教育機関
寺子屋
私塾
二 村上仏山とその出自
仏山の家系
学問への道
生涯の師
見聞と交流を広める
三 水哉園の教育内容
水哉園設立
塾則と進級制度
水哉園の教育内容
詩を教育の中心に
入門者
仏山の勤皇思想
子弟愛
縁家の人々
『仏山堂詩鈔』の刊行
母の死
名声高まる
身内の不幸と仏山の死
門人たち
四 仏山をめぐる人々
女流漢詩人・原采蘋
門下生智電・集成
志士・戸原卯橘
長梅外・三洲
勤皇の志士・久坂玄瑞
第二節 連歌と俳諧
一 連歌
豊前の連歌
今井祇園奉納連歌
里村玄川と門下たち
村々の祭と連歌
重村栄寛と万句連歌
二 俳諧
豊前の俳諧
三千風の来訪
元翠と支考の来訪
枯野塚建立
野坡の来訪
有隣と馬貞
里隣と無耳庵
里翠・雨隣と美濃派
以六、青羊の俳諧
第三節 小倉藩の文教と藩立学校
江戸幕府の文教政策
小倉藩学の成立
文武奨励の御条目
藩学中興の矢島伊浜
思永館聖堂
思永館における釈奠
思永館における詩会
布施晦息による人材育成
小倉藩の武術
第四節 香春思永館とその文教
香春思永館の開業
第五節 育徳館の発足
育徳館の開業
育徳館御条目
育徳館本館の教職員
支館と教職員
学館経費
私立育徳校
小学教員養成所
秋月党の乱
県立豊津中学校
第六節 大橋洋学校
洋学校の名称と教科
在校した生徒
ファン・カステールの雇用契約
大橋洋学校とカステール
黒板による教授法
カステールの事業とその門下生
第七節 医学と医療
疫病と信仰
官医による医療指導
小倉藩における郡医および施薬
小倉藩における種痘の実施
医書の貸与
豊津藩における医療行政
医家小原氏による「虫下し薬」の普及
外科医療の具体例
医師免許と医学校
小倉県における種痘の実施
●第五章参考文献
第六章 藩政後期と明治維新
第一節 幕藩体制の危機と小倉藩
一 農村の荒廃
文政期の農村
農村の荒廃
二 藩政の改革と綱紀粛正
嘉永・安政期の改革
村役人の更迭
大庄屋中村平左衛門の入郡
三 大庄屋中村平左衛門の施策
平尾台草伐り場
農書『除蝗録』の配布
長木村大首谷池の普請
四 殖産興業と小倉織
小倉藩の特産品
婦女子の出雲派遣
糸引き伝播と殖産計画
五 尊皇攘夷と小倉藩
唐船打払いを指揮した小倉藩
欧米船の日本来航
長崎異変と小倉藩
日米修好条約と公武合体
攘夷に関する勅書伝達と藩主の帰国
海岸防衛について部署を発令
重臣間の対立
六 攘夷戦と長州藩との確執
第一次攘夷戦
列国艦隊の反撃
フランス提督の決意
攘夷実行に久留米藩が加担
朝陽丸事件
田野浦占拠と倉長談判
八・一八の政変
彦山義挙と座主の拘束
第二次攘夷戦-四国連合艦隊の報復
長州倒幕派の台頭
第二節 長州征伐と小倉藩
一 第一次征長戦
禁門の変
小倉藩の旅人規制①
小倉藩の旅人規制②
大橋村伝兵衛受難
第一次長州征伐
仮病をつかう農兵
小倉藩の旅人規制③-「長賊」の取締り-
奉幣使一行の大橋御茶屋小休
二 第二次征長戦
長州再征の勅許
小倉藩の旅人規制④
第二次長州征伐
難を逃れた国作手永大庄屋役宅
止戦交渉
豊津藩庁の建設
三 戦時下の人々とくらし
村の困窮と再建
窮民御救と返済の延期
嘉永七年の改革と庄屋転村
庄屋会議
政治状況の緊迫化-農兵と譜代召し抱え-
戦時下の状況
打ちこわしの情報
京都郡の打ちこわし勢
仲津郡の打ちこわし
打ちこわし後の世界
第三節 維新の諸政策と小倉藩
一 維新政府の成立と小倉藩の苦悩
王政復古の大号令
徳川処分に関する小倉藩の態度
二 小倉藩の奥羽出兵
小倉兵の登京
平井隊の登京
平井隊の奥羽出兵
久保田城に軍事会議所を設置
院内口の戦い
薩摩兵の窮状と小倉兵の活躍
塩根峠の攻防戦
岩崎・角間川の戦い
角館・神宮寺の防衛戦
松山城の請け取り
三 戊辰出兵の諸隊
渋田見隊の会津出兵
小笠原若狭隊
鈴木隊の越後出兵
島村志津摩の行幸警護
財政の困窮と新政府の財源
戊辰戦役への評価
第四節 藩体制の崩壊
一 島村志津摩と行事飴屋
小倉藩元家老と御用商人
飴屋の別邸快哉楼
二 島村志津摩の隠棲と郷土の人々
島村、二崎に隠棲
島村の炭坑経営
上村源三屋敷
島村志津摩の終焉
三 禄制改革への道
面扶持の実施と藩機構改革
版籍奉還と藩制の布達
豊津藩の禄制改革
四 維新期の村方への統制
五 商人の「まち」と周辺
在郷商人と献金の格付け
在郷まちと要港沓尾湊
六 廃藩置県
廃藩へのみち
「詔書」の下付
七 旧藩主のその後
●第六章参考文献
第五編 建築(準備中)
第六編 美術(準備中)
第七編 近代
総説
農村社会
地主と小作
漁業
行橋町の発展
有産者自治
社会運動
大衆文化
行橋の文化人
行橋の教育
第一章 行財政・議会
第一節 明治維新の政治経済改革
一 福岡県の成立
二 封建的規制の撤廃
三 小倉県の地租改正
地租改正
小倉県の改正作業
第二節 地方自治制の成立
一 大区小区制の制定
壬申戸籍
大区小区制
大小区会の開始
二 三新法体制と民会
三 町村制と町村合併
町村合併
町村制下の議会制度
四 郡制・府県制の実施
郡制の制定と実施
府県制
五 議会の開設と選挙
自由民権運動
豊前改進党
県会と政党
国政選挙と干渉
末松謙澄と堤猷久
郡議会と町村議会
名望家・柏木勘八郎
第三節 地方制度の展開と町村制
一 郡と町村
郡長排斥町民大会
新市街地の形成と徳田伊勢次郎
二 地方制度改革と議会
郡制廃止と事業の移管
大正一五年の地方制度改革
普通選挙法の実施と議会
第四節 地方財政
一 町村財政の展開
町村財政の膨張
町税の増徴
京都郡の財政
二 町村財政の変貌
財政膨張
三 昭和前期の町村財政
農村不況と財政窮乏
戦時財政
第五節 行橋市街地の形成
行橋町耕地整理事業
耕地整理組合の結成
二五町歩の耕地整理
財政困難の克服
耕地整理の成果
●第一章参考文献
第二章 産業・経済
第一節 農業
一 明治期の農業
明治前期の生産物
農家経済
勧農政策と福岡農法
農業生産の展開
灌漑排水と耕地整理
豊前米と穀物検査事業
地主と小作
二 鉱工業の発展と農業生産の変容
鉱工業の発展と農業
商業的農業の展開
新田原の果樹栽培
文久新地におけるそ菜生産
畜産の展開と京都酪農
三 慢性的不況と農家経済
昭和恐慌
農家経営の悪化
経済更正運動
四 農業政策の展開
農事試験場豊前園芸分場の設置
農業技術の発展
産業組合の発展
行橋信用購買販売組合
農会とその発展
五 地主小作関係の展開
小作地率と農民の構成
地主小作関係の深刻化
大橋農業親和会
小作料減免交渉と地主
地主の動向
六 戦時期の農業
食糧危機と生産配給統制
農業団体の統制機関化と合同
戦時農地政策の展開
第二節 漁業
一 明治期の漁業
漁業法の制定と組合の設置
明治前期の漁業
明治後期の沿岸漁業
明治期の漁獲物製造品
福岡県水産試験場の設置
明治期の漁獲物流通
朝鮮への通漁・移住
二 大正・昭和初期の漁業
大正・昭和初期の漁業統計
昭和初期の漁業集落
朝鮮移住と出漁
大正期の漁業組合
豊前水産会の設立
県水産試験場豊前海研究所の設置
漁獲物販売機関の再編
漁業法の改正と組合の育成強化
戦時下の漁業統制
ノリ養殖
蓑島への打瀬船入漁
第三節 商業・金融業
一 商業
明治前期の豊前の物流と行橋
明治前期の行橋商人
行事飴屋の衰退
明治末大正初期の商業
商工会の設立と共進会の開催
新市街地の形成と商店街の拡大
昭和前期の商業
戦時期の商業
二 銀行業の成立と展開
国立銀行条例とその改正
第八十七国立銀行の設立
第八十七国立銀行の活動と破綻
小倉商人と第八十七銀行
第八十七銀行の第百三十銀行への合併
第百三十銀行の破綻
行橋草野銀行の設立と廃業
行橋に進出した諸銀行
福岡銀行の成立
三 各種金融機関の展開
質屋
無尽会社
信用組合
郵便貯金
第四節 工業
一 在来産業
清酒醸造業
醤油醸造業
その他の製造業・工業
二 豊州鉄道工場
豊州鉄道工場
鉄道院行橋工場
鉄道院行橋工場の廃止
三 行橋電灯株式会社の設立と経営
電気事業の始まり
行橋電灯の発起人と設立経過
株主と役員
従業員と設備
供給区域の拡大と需要の増大
買電への転換と経営
九州水力電気との合併、解散
四 明治紡績行橋工場の開設と安川航空電機
近代紡績業について
明治紡績の設立
行橋工場の設立と発展
昭和一一年の行橋工場
戦時体制における紡績会社の整理統合
安川航空電機の設立
五 行橋製氷冷蔵の設立と初期の経営
行橋製氷の設立
株主と経営者
初期の経営
●第二章参考文献
第三章 交通・通信
第一節 交通
一 道路の整備
明治・大正期の国・県道
新国道の開通
県道行橋-豊津線の改修
二 在来交通手段と自転車・自動車
人力車の登場
「町勢要覧」に見る行橋町のクルマ
三 戦前期の乗合自動車
乗合自動車の始まり
行橋町のバス
豊前バス組合の設立と経営
豊前バス株式会社の設立
九州合同バスと行橋
筑豊自動車運輸株式会社のバス
四 九州鉄道の開通
鉄道の始まり
九州鉄道会社の設立と行橋地方
小倉-行事間開通
共同停車場と行橋-小倉間の運転時間
五 豊州鉄道の設立と田川線の開通
豊州鉄道の設立
豊州鉄道の発起人
豊州鉄道の設立目的
本免許状の下付
体制立て直しと田川採炭会社との合併
行橋町内の線路と停車場
行橋-伊田間開通
六 豊州鉄道の経営と九州鉄道への合併
本線の開通と石炭輸送線の延長
豊州鉄道の経営
九州鉄道との合併
第二節 通信
一 郵便
郵便制度の始まり
豊前の郵便制度の整備
行橋郵便局の沿革
行橋地域の郵便物数
二 電信・電話
電信の始まりと福岡県
大橋電信分局の開設
行橋における電話
●第三章参考文献
第四章 社会・生活
第一節 保健衛生と医療
一 明治期の保健と医療
京都仲津郡医師組合の設立
明治の医療
京都郡医師会の発足
衛生参考品展覧会開催
二 大正・昭和の医療
大正時代の医業報酬
京都歯科医師会の発足
昭和初期の医療従事者
第二節 治安
一 警察制度の確立と変遷
行事警察署の発足
行事裁判所の開設
自転車の配置と電話の架設
警察署の新築
大正期の事件・事故
二 消防組の創設とその活動
消防組創設の記念碑
明治の消防出初式
第三節 災害
一 明治の風水害
暴風雨で今川の堤防決潰
明治の大水害
二 大正・昭和の大火
蓑島村の大火
行橋町空前の大火と罹災救助
第四節 社会運動
一 農民運動
県下で最初に三派が鼎立
1 全農福佐京築地区委員会
全農福佐京築地区委員会
全農全国会議派大分県連が支援
第二次九州共産党事件で潰滅
2 日農九同豊前連合会
日農九同豊前連合会
有永霊城
複雑な無産政党支持関係
日本国家社会党から皇道会へ
戦時下に急速に右傾化
3 全農福岡県連京築委員会
全農総本部直属の京築支部
田原春次
全農福岡県連の創立
石田新開争議
機関紙「社会新聞」北九州版(九州版)
二代目九州支社長小祝藤吉の労農葬
「京築無産者診療所」の構想
京都郡医師会の動向
医療利用組合方式に転換
ミヤコ医療組合実費診療所の概要
今川水利権防衛同盟
地主や漁協も県に陳情
無産派代議士の誕生
全農から大日本農民組合へ
農地制度改革同盟
二 水平運動
独立系水平社・自治正義団の創立
吉川兼光
創設期の運動
差別糺弾闘争に伴う刑事弾圧
部落問題論策集『地殻を破つて』
無産運動をめぐる対抗
高松結婚差別裁判糺弾闘争と京都郡
九州地方農民団体会議の提唱
全農福岡県連の差別糺弾闘争
福岡県親善会の対応
部落問題論策集『覚醒』
全国水平社の組織と運動
全水京築支部組織準備委員会
三 堺利彦農民労働学校
堺利彦
1 堺利彦農民労働学校運営主体の形成-京都郡における無産政党運動-
第一回男子普選衆議院総選挙
無産大衆党京都郡支部
無産大衆党九州遊説
堺利彦の「土蜘蛛旅行」
2 堺利彦農民労働学校の展開過程
堺利彦農民労働学校の開設
第一期堺利彦農民労働学校
第一期堺利彦農民労働学校の反響
豊津中社研グループ
第二期堺利彦農民労働学校
堺利彦農民労働学校大会
常設校舎建設運動
堺利彦倒れる
全農総本部派の農民教育機関へ
第三期堺利彦農民労働学校
堺利彦社会葬
第四期堺利彦農民労働学校
落合久生の転向
社会大衆党京築支部の分裂
大陸植民講座と九州植民学校設立構想
常設校舎の行橋移転
九州農民学校
国民学校の分教場として使用
第五節 戦時体制下の郷土
一 日中戦争と太平洋戦争
戦時体制へ
二 戦時体制の成立
国家総動員法の制定
大政翼賛会の結成
紀元二千六百年と黎明運動
印刷物による戦意高揚
三 銃後の生活と出征
生活物資の不足
金属回収令の施行
男子の出征で労働力不足
学徒出陣
学徒勤労動員
四 築城海軍航空隊の開設
開設と変遷
掩体壕の建設
空襲と終戦
1 怖かった空襲と苦難の生活
2 学徒動員と空襲
五 終戦
●第四章参考文献
第五章 教育・文化
第一節 明治期の学校教育
一 近代教育の発足
学制の頒布
小倉県の対応
小倉県の学校創立
小学校の開校
生徒心得と教師心得書
二 学校制度の改革
教育令の公布
水哉園の閉校
小学校令の公布
行事高等小学校開校
三 近代教育の拡充
国定教科書の発行
旌表制度と教育振興策
明治期の教員
教育勅語
四 中等教育
藩校育徳館から豊津中学校へ
京都農学校
女子教育
第二節 大正・昭和前期の教育
一 女子教育の充実
京都高等女学校の開校
二 実業教育の充実
実業補習学校
第三節 戦時下の教育
国民学校令の公布
国民学校の教育内容
戦争末期の教育
第四節 戦前の社会教育
一 通俗教育と社会教育
一般人を対象とする教育
二 青年会
三 婦人会
婦人会・処女会
国防婦人会
大日本婦人会
第五節 文化
一 劇場と映画館
定席芝居小屋「大行舎」
劇場「都座」
劇場「稲荷座」
映画館
二 『京都郡誌』の刊行
伊東尾四郎の編纂
三 仏山翁贈位の記念事業
四 京都郡公会堂の建設
五 公園の整備
筒井公園・千勝園の開設
大橋公園の開設
六 中山グラウンドの建設
●第五章参考文献
第八編 現代(準備中)
第九編 民俗(準備中)
歴史年表
[執筆者一覧ほか]
執筆者一覧(五十音順)
執筆担当
資料提供者及び協力団体・機関(順不同)
編纂・刊行関係者名簿