豊後勢は杉連緒(すぎゆきつら)が守る香春岳城、杉隆哉が守る松山城、麻生隆実が守る花尾城を攻め落とし、永禄四年九月から門司城攻めにかかった。「児玉就方内之者軍忠状」によって合戦の一部を知ることができる。
永禄四年九月六日に行橋市蓑島(みのしま)で合戦があり、児玉就方(こだまなりかた)勢は豊後勢の船八艘と一三人を生け捕っている。九月一二日の花尾城合戦の後、九月二八日再び蓑島で戦闘があり、豊後方の頸二を取っている。蓑島には大友方水軍が数十艘(そう)待機していたが、ことごとく村上武吉(むらかみたけきち)に討ち取られている。一〇月二日に門司城近辺に豊後勢が攻め、同九日には門司区恒見(つねみ)でも衝突が起きている。周防灘(すおうなだ)を舞台にした激しい海戦の様子が記されている。