毛利方の長野城攻め

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 八月一六日、安芸衆(毛利方)は渡海してまた宮尾城を取り、長野城と三岳城などを包囲した。
 三岳城は長野氏と田原親宏勢が立て籠もった。安芸衆は九月三日午後六時、反撃を開始し、四日に小三岳城を攻め落とした。五日に大三岳城も攻め落とし、同夜には等覚寺城を攻落した。長野兵部左京は安芸衆に討ち取られた。さらに、外城内の男女数千人が殺害され、長野三河守助守は豊後国に亡命した。豊後勢は四〇人戦死した。安芸衆も多数の被害を出した。
 この合戦は豊前国全域に波及し、七月一三日に京都郡苅田表の合戦に、九月一日には企救郡(小倉南区)曽根での衝突に及んでいる。