北口(島根県、鳥取県)では、京都に隠遁生活(いんとんせいかつ)を送っていた尼子勝久は山中鹿之助に担がれて天野隆重(あまのたかしげ)が守る月山富田城(がっさんとだじょう)を攻め、さらに、石見国へ進軍する勢いであった。下口(福岡県、大分県)では、永禄一二年(一五六九)一〇月一一日に大友氏に後押しされた大内輝弘(おおうちてるひろ)は、五〇〇余の兵を率いて周防国秋穂(あいお)(山口県)に上陸した。翌一二日山口へ侵軍し放火。一三日には山口市高嶺城(こうのみねじょう)を攻撃したが反撃され、目と鼻の先の築山に立て籠もった。これに応じて各地に一揆が蜂起(ほうき)するなど事態は急変した。瀬戸内海でも、村上水軍の首領村上武吉が毛利氏から離反した。