高橋鑑種の動向については諸説ある。小倉移封より三カ月ほど前、永禄一二年(一五六九)八月五日付で、毛利元就、毛利輝元、小早川隆景、吉川元春の連名で高橋鑑種に与えた誓約書が参考となる。
ここには、大友氏との確執のことについて、将軍足利義昭の命によるもので仕方がなかったことを述べ、高橋鑑種の了解を求め、大友方との和睦が成立しても、高橋鑑種はあくまでも毛利方の者であり、決して見放すことはないこと、また高橋鑑種を大友方へ引き渡すことはしない、以前に毛利が給与した高橋鑑種の所帯(しょたい)(所領)は必ず保障することを誓約している。
毛利氏はこのような起請文を多数発しており、特別視する必要はないかもしれない。しかし、高橋鑑種が小倉に移住させられたことは、この起請文と関係が深いと思われている。