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時代 |
年月 |
郷土のできごと |
関連 |
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旧石器時代
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三〇〇〇〇年前頃
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稲童の台地に人が住み始める(渡築紫遺跡)
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第二編p176
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2
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旧石器時代
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一五〇〇〇年前頃
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泉台地や平尾台の山麓部にも人が生活する(鬼熊遺跡・入覚大原遺跡)
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第二編p178 第二編p181
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3
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縄文時代早期
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七〇〇〇年前頃~六四〇〇年前頃
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椿市の台地や南泉の台地に押型文土器を使う人々が住む(福丸遺跡・竹並遺跡)
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第二編p201
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4
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縄文時代晩期
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三五〇〇年前頃
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節丸の台地に人が住み、集落を作る(節丸西遺跡)
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第二編p219
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5
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弥生時代前期
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四〇〇年前頃
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海岸部に近い祓川下流で稲作農耕の集落が生まれる(長井遺跡・辻垣遺跡)
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第二編p260 第二編p267
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6
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弥生時代前期
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三〇〇年前頃~二〇〇年前頃
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下稗田の丘陵に大規模な集落が生まれる(下稗田遺跡)
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第二編p273
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7
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弥生時代中期
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二〇〇年前頃~一〇〇年前頃
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河川流域の各地に農耕集落が広がる(前田山遺跡・下崎ヒガンデ遺跡など)
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第二編p349
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8
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弥生時代後期
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一〇〇年前頃
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平野部の低丘陵上に集団墓地が造られる(下稗田遺跡・前田山遺跡)
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第二編p349
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9
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弥生時代後期
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一〇〇年~二〇〇年
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大規模集落の特定個人墓に中国鏡や鉄製品が副葬される(前田山遺跡)
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第二編p360
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10
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弥生時代後期
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二〇〇~三〇〇年
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首長墓である墳丘墓が造られる(前田山遺跡・竹並遺跡)
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第二編p360 第二編p382
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11
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弥生時代後期
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二〇〇~三〇〇年
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竹並や稲童に豪族の古墳が造られる(竹並遺跡・稲童古墳群)
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第二編p477
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12
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古墳時代前期
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三〇〇年~三九一年
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石塚山古墳が造られる
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第二編p380 第二編p383
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13
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古墳時代前期
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三〇〇年~三九一年
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延永にビワノクマ古墳が造られる
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第二編p407
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14
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古墳時代中期
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四〇〇年~五〇〇年
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稲童に石並古墳(前方後円墳)が造られる
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第二編p477
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15
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古墳時代中期
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四〇〇年~五〇〇年
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この頃鉄製の甲冑類の副葬品が流行する(稲童21号墳・8号墳・馬場代2号墳)
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第二編p407
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16
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古墳時代中期
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五〇〇年~五三五年
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長木に八雷古墳、勝山町に扇八幡古墳が造られる
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第二編p446 第二編p469
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17
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古墳時代中期
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五三五年5月
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磐井の乱平定後、豊前地域に五つの屯倉が設置される
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第二編p447
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18
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古墳時代終末期
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五三八年~五九三年
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群集墳や横穴墓群が盛んに造られる(渡築紫古墳群・福丸古墳群・竹並横穴墓群・前田山横穴墓群)
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第二編p452 第二編p456 第二編p457 第二編p460
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19
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古墳時代終末期
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六〇〇年~六四五年
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勝山町に綾塚古墳が造られる
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第二編p474
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20
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古墳時代終末期
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六〇〇年~六四五年
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勝山町に橘塚古墳・豊津町に甲塚方墳など大規模な方墳が造られる
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第二編p474
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21
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古墳時代終末期
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六〇〇年~六四五年
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椿市に願光寺裏山古墳が造られる
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第二編p491
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22
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飛鳥時代
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六六三年(天智二年)
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この頃、古代山城である「御所ヶ谷神籠石」が造られる
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第二編p595 第二編p596
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23
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飛鳥時代
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六九四年(持統八年)~七〇一年(大宝元年)
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椿市廃寺などの初期古代寺院が造営される
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第二編p625
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24
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飛鳥時代
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七〇二年(大宝二年)
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「豊前国」の名が初めて記録に現れ、仲津郡丁里などの戸籍が作られる
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第二編p536
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25
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奈良時代
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七二三年(養老七年)~七四〇年(天平十二年)
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この頃、豊前国府周辺が整備され始める
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第二編p541 第二編p545
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26
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奈良時代
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七五六年(天平勝宝八年)
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この頃、豊前国分寺が造られる
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第二編p631
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27
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奈良時代
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七七三年(宝亀四年)
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この頃、和気清麻呂が豊前国司として着任する
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第二編p541
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28
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奈良時代
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七八四年(延暦三年)~七九四年(延暦一三年)
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この頃「草野津」が豊前の要港として栄える
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29
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奈良時代
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八三四年(承和元年)
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春日神社(金屋)、奈良より勧請、社殿を建立する
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30
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平安時代
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八五九年(貞観元年)
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正八幡神社が草野(行事)の地に社殿を建立する
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31
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平安時代
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九三八年(天慶元年)
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覗山城主高瀬太郎種忠が安浦神社(稲童)を建立する
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第三編p49
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32
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平安時代
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九四〇年(天慶三年)
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馬ヶ岳城に大弐経基王が城柵を築く
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33
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平安時代
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九四八年(天暦二年)
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熊野神社(今井)、社殿を建立する
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34
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平安時代
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九八〇年(天元三年)
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菅原神社(真菰)、椎田町高塚の菅原神社から分祀する
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35
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平安時代
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一一八七年(文治三年)
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宇都宮信房が豊前国の地頭職として城井谷に入る
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第三編p53
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36
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鎌倉時代
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一一九四年(建久五年)
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この頃「草野津」がおとろえ「今井津」が発達する
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37
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鎌倉時代
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一一九四年(建久五年)
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蓑島が瀬戸内を支配する水軍の根拠地となる
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38
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鎌倉時代
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一二五四年(建長六年)
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今井津須佐神社、京都八坂神社より分祀する
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第三編p186 第四編p537
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39
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鎌倉時代
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一二七四年(文永一一年)
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豊前国の宇都宮一族が文永の役に参戦する
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40
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鎌倉時代
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一二七六年(建治二年)
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幕府が豊前国などの御家人に命じ、元寇防塁を築かせる
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第三編p56
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41
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鎌倉時代
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一二八一年(弘安四年)
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宇都宮一族が弘安の役に参戦する
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42
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室町時代
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一三四八年(正平三年)
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馬ヶ岳城主新田氏の一族が王埜八幡神社(宝山)を宇佐八幡宮より分祀する
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第三編p152
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43
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室町時代
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一三五六年(正平一一年)
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長者原(新田原)で菊池武義が斯波氏経と戦いこれを破る
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44
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室町時代
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一三八四年(元中元年)
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稲童名が和布刈神社の所領となる
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第三編p121
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45
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室町時代
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一三九八年(応永五年)
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大内義弘が大友氏鑑の軍と築城原で戦いこれを破る
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46
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室町時代
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一三九八年(応永五年)
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正八幡神社(草野)が大友の兵火に罹る
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47
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室町時代
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一三九八年(応永五年)
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松山城主毛利氏が貴船神社(高来)を、遠之峰より今の地に遷す
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48
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室町時代
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一四〇三年(応永一〇年)
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大内盛見が豊前国守護に任命される
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第三編p71
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49
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室町時代
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一四二一年(応永二八年)
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今井(今居)の鋳物師藤原安氏が彦山霊仙寺の鐘を造る
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第三編p188
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50
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室町時代
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一四六八年(応仁二年)
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蓑島海賊大将・玉野井藤原邦吉が朝鮮に使いを送る
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第三編p79 第三編p190
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