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解題・説明
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村川堅固は、東京帝国大学教授として活躍した西洋史学者である。現在も子の神に残る、旧村川別荘の主でもあった。村川は嘉納治五郎、杉村楚人冠とならび、手賀沼干拓反対運動の中心人物として活動したとみられる。当時の手賀沼は洪水対策や耕地拡大のため、干拓計画が何度か持ち上がっていたのである。手賀沼を中心とした雄大な自然を有する我孫子を気に入り、土地を買った彼らにとって、手賀沼を埋められることは何としても阻止したかったのであろう。彼から楚人冠に宛てた一連の書簡には、庭園協会の会員とのつなぎ役を村川が担っていると考えられるものもある。
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