解題・説明
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旧井上家住宅は千葉県我孫子市相島1にあります。井上家は江戸時代、手賀沼干拓のため江戸から我孫子に移住したのち、相島新田・三河屋新田の名主を勤めました。井上家資料は、江戸時代からの手賀沼干拓に関する資料、村のようすを示す資料、近現代の生活がわかる資料などがあり、江戸時代から近現代にわたって長い歴史が残っています。(我孫子市指定文化財)家守とは地主や家主から家の管理を任され家賃の徴収や店子の世話などをする役割です。家守職は江戸町の運営に携わっていたことから、「江戸の町人」の身分がありました。逆に、店借しているものは江戸に住んでいたとしても「江戸の町人」ではありませんでした。このことから、家守職を担っていた井上家は江戸町人としての役割を果たしていたことがわかります。保有していた場所は尾張町2丁目西側南角とあり、いまの銀座6丁目あたりになります。 この史料は家守の権利を売買するための下書きですが、元文4(1739)年の日付があることから、この時期に家守職を手放そうとしていたことがわかります。これは、史料「覚」の成立時期と密接に関係すると考えられます。
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