解題・説明
|
本書簡は、土方歳三の親戚の松本捨助が新選組に入隊したく、両親に無断で新撰組屯所を尋ねた。しかし、土方は入隊を許さず帰宅させた。その折松本が、小島鹿之助に届けた書簡である。文中の「上溝へもよろしく」とあるのは、相州上溝村の佐藤幾蔵(為彦・小島家の親戚)を指している。 土方は、追伸で京と大坂の馴染みの女性の名を挙げて、自慢している。しかし、これは法螺話と思われるのではないかと思ったのか、約一年後の元治元年九月二十一日付の書簡を小島鹿之助に送った。この書簡は現在仙台市博物館が所蔵しているが、文中に「婦人恋文さし上候間御一見遊ばされ下され候」とあり、彼が女性にもてた証拠として、恋文を送ってきたことが分かる。また、今上皇帝(孝明天皇)の和歌は、『孝明天皇紀 第二』安政元(嘉永六)年正月十八日に 「朝ゆふに民安かれとおもう身の こゝろにかゝる異くにのふね」 が記されている。
|