解題・説明
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佐藤彦五郎邸は下佐藤と呼ばれ、上佐藤家とともに日野宿の問屋を務めた。初めは脇本陣であったが、幕末には本陣になった。
甲州街道に面して長屋門があり、左側の格子の入った部分を改築して道場としていた。以前は東側に道場があったと伝わり、試衛館から近藤勇、沖田総司、山南敬助等が出稽古に訪れていた。
表玄関には式台があり、大名等の出入りに使われた。明治天皇は明治13年の行幸、14年の狩猟と2年続けて佐藤家で小休止をとっているが、その際は、赤絨毯を引き、式台から上段の間まで、外履きのまま行かれたそうである。甲陽鎮撫隊が佐藤家を訪れた時、彦五郎と俊宣は式台で出迎えた。まだまだ元気であると沖田総司が四股を踏んで見せたのもこの式台である。歳三の兄為次郎もここから出陣を見送った。
かつて佐藤家には「上段の間」「御前の間」「瓢箪池」があったが、明治26年の大火により、彦五郎の四男彦吉の養子先である有山家が消失したため、すぐに暮らせるようにと彦五郎が「上段の間」と「御前の間」を切り離し、曳家で有山家に移した。
佐藤家の屋敷は、日野市ふるさと歴史館分館『日野宿本陣』として公開されている。当時から移設されているものの敷地内には明治天皇ご来訪の記念碑があり、「明治天皇日野御小休所趾及建物附御膳水」と刻まれている。
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