/ 50ページ
画像
画像ビューア
目録ID 002-mp010020-200030
タイトル 佐藤家旧宅
タイトル(カナ)
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年 慶応元年12月(186512)
製作年終
数量
形状 写真
大きさ
大きさ(縦)
大きさ(横)
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 佐藤彦五郎邸は下佐藤と呼ばれ、上佐藤家とともに日野宿の問屋を務めた。初めは脇本陣であったが、幕末には本陣になった。

甲州街道に面して長屋門があり、左側の格子の入った部分を改築して道場としていた。以前は東側に道場があったと伝わり、試衛館から近藤勇、沖田総司、山南敬助等が出稽古に訪れていた。

表玄関には式台があり、大名等の出入りに使われた。明治天皇は明治13年の行幸、14年の狩猟と2年続けて佐藤家で小休止をとっているが、その際は、赤絨毯を引き、式台から上段の間まで、外履きのまま行かれたそうである。甲陽鎮撫隊が佐藤家を訪れた時、彦五郎と俊宣は式台で出迎えた。まだまだ元気であると沖田総司が四股を踏んで見せたのもこの式台である。歳三の兄為次郎もここから出陣を見送った。

かつて佐藤家には「上段の間」「御前の間」「瓢箪池」があったが、明治26年の大火により、彦五郎の四男彦吉の養子先である有山家が消失したため、すぐに暮らせるようにと彦五郎が「上段の間」と「御前の間」を切り離し、曳家で有山家に移した。

佐藤家の屋敷は、日野市ふるさと歴史館分館『日野宿本陣』として公開されている。当時から移設されているものの敷地内には明治天皇ご来訪の記念碑があり、「明治天皇日野御小休所趾及建物附御膳水」と刻まれている。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 佐藤彦五郎新選組資料館
原資料の所在地 佐藤彦五郎新選組資料館
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 写真
資料種別 多摩の豪農
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
manifest.jsonへのURL
関連ページURL
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
/ 50ページ