解題・説明
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文久三年九月十八日に芹澤一派を暗殺し新選組の実権を握った近藤勇は、十月十五日に京都守護職松平肥後守宛に「口上願書」を提出し、市中見廻りは本来の任務とは思わず外夷攘払の魁けを本願とする主旨を述べている。此の頃に日野宿の佐藤彦五郎から書簡が届き、その返信と思われる。平野次郎は、平野国臣のことで、平野は、七卿の一人沢宣嘉を但馬に迎え、十月十二日生野代官所を襲撃した。しかし、この挙兵は沢が突如本陣を脱出しようとしたため敗走となり、国臣は十五日城崎で豊岡藩士に捕えられた。なお、新選組隊士に三名の間者がおり、殺害したと報告している。佐藤に、江戸の試衛場の屋根替えの代金廿両を立て替えてもらっていたので、返金しそのお礼を述べている。また、門人取り立ての件についても「ありがたく仕合わせに存じ奉り候」とあり、さらに新選組において、「文武館」を建て隊士を教育していることを伝えている。なお、来年は江戸に帰る予定である。土方氏も無事で、土方の刀について触れ、さらに有名な剣客荒木又右衛門の家で刀を拝見し、脇差は長めの刀を使うことを推奨している。
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