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目録ID 002-mp160032000-200020
タイトル 土方歳三書簡
タイトル(カナ)
タイトル(ローマ字)
タイトル関連 『文久四年甲子異聞録 巻之七』所収
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
差出・作成者 土方歳三
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛先 佐藤彦五郎
宛先(カナ)
宛先(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 元治元年12月15日(18641215)
作成年終
数量
形状 冊子
寸法
寸法(縦)
寸法(横)
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 常野の浮浪の者共(水戸天狗党)が上洛との報で、京都より一橋慶喜をはじめとして、一万人が出動した。新選組は四ツ塚御門(京都市南区)と御所の警備を任された。冥加の至りであるが人数が少なく困った。その後、四つ塚は佐竹家と交代になった。天狗党は十二月十七日に加賀藩に投降して騒乱は終結した。土方が書簡を書いているころは、まだ終結していない。次に、土方が松平容保公より「副長役」を仰せ付けられたことを伝えている。行軍録には、局長、副長という記載はない。当時京都には、日本中から多くの武士が集まっていた。土方は命を張って京都を護る武士は、会津、桑名、見廻り組、新撰組の四家しかないと述べている。そして、新選組の行軍の図を佐藤彦五郎に送って来た。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 小島資料館
原資料の所在地 小島資料館
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 書簡
資料種別 新選組
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
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自治体史掲載
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