解題・説明
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小島鹿之助は、文久元年四月廿日に近藤勇が来訪した時に「錣帷子壱領二円(両)相附置き申し候」と日記に記している。このとき、注文した鎖着込みが出来上がったことを知らせる書簡である。日記には詳しく書いていないが、小島は寄場名主として、護身用として、二着を近藤に注文した。文久三年一月十六日の『小島日記』には、「近藤勇え銕衣を貸す」とあり、上洛する近藤に護身用として贈っている。一年後に起きた池田屋事件では、この鎖着込みを着用したと思われる。小島は慶応二年に結成した小野路農兵隊隊長として、出陣の折に使用した。追伸の橋本様は、小野路村名主橋本道助である。
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