解題・説明
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大石鍬次郎は一橋家の家臣といわれており、元治元年に新選組に入隊した。実兄に一橋藩士の大石造酒蔵がいたが慶応二年二月に京都で新選組隊士今井祐三郎に殺された。このため、大石家の家督相続について問題が起こり、宮川総兵衛は大石家の相続について尽力したものと思われる。この書簡では、この件について大石鍬次郎が総兵衛に礼を述べている。 このたび、同志藤沢彦次郎が東下することになり、大石は総兵衛に本書簡を持参させた。新選組隊士で藤沢姓のものは、西村兼文の「壬生浪士始末記」に名が見える藤沢竹城一名のみである。書簡の発信日は大石造酒蔵が亡くなった慶応二年の八月朔日と推定される。
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