昭島と福生、そして八王子との市境でもある多摩川河川敷に残る近代土木遺構です。遺構は江戸時代以来、昭島、立川両市域の水田を潤してきた九ヶ村用水の取水口跡です。
取水口は御影石で作られており、幅は約5メートル。そこには一部判読が困難ですが、「九箇村用水樋管」「明治四十四年□□七月□造」と彫ってあります。
取り入れた多摩川の水は、昭島市域の8ヶ村(拝島、田中、大神、宮沢、中神、築地、福島、郷地)と柴崎村(立川市)の9ヶ村の用水となっていたため、この名前があります。
取水口は古くは上流の福生市域にありましたが、江戸時代末から明治初期にかけて、この場所に移ったとみられます。その後、村山・山口両貯水池完成後、多摩川の水位が下がったため、昭和8年(1933)、下流に新しい堰(昭和用水堰)を設けました(ただし、この取水口は昭和48年頃まで使用)。