拝島橋

  • 【所在地】東京都昭島市拝島町4-22先
多摩川エリア 近代の記憶

拝島の渡しに代わって、架けられたのが拝島橋です。現在の橋は二代目で、最初の橋完成までには様々な苦難がありました。

大正末期に上流の多摩橋、下流の日野橋が完成すると拝島村などで架橋運動[注1]が浮上しました。福島の渡し跡も候補になりましたが、昭和12年(1937)12月に当時の東京府が拝島橋架橋を決定しました。

2年後にコンクリート橋として着工したものの、日中戦争や太平洋戦争の影響で昭和17年(1942)5月には中断してしまいました。この時点で橋脚12本が完成していました。

拝島の渡しが廃止された戦後は仮橋で対応していましたが、昭和25年(1950)12月に工事が再開され、昭和30年(1955)3月12日、竣功式が行われました。当時の拝島橋(8×526m)は、東洋一のゲルバ-式橋[注2]といわれ、誕生直後の昭島市には明るい出来事となりました。

現在の二代目、国道16号拝島橋は上り、下りに分かれて二本の橋があります。昭和62年(1987)3月に一本目が、平成4年(1992)4月に二本目が完成し、渡し舟をイメージしたモニュメントが両岸にあります。

[注1] 拝島橋架橋運動 …… 八高線の拝島駅乗り入れを実現させた拝島村は、次に多摩川架橋へと動いた。昭和7年(1932)の役場メモには旧日光街道であること、八王子が大都市であること、多摩御陵や高尾山参拝などに便利である、などが理由となっている。

[注2] ゲルバー式橋 …… 桁と継ぎ目からできた橋。連続桁の長所がある。隅田川の両国橋がこの方式。

  • 現在の拝島橋(左岸)

    現在の拝島橋(左岸)

  • 初代拝島橋竣功を報じる昭島市広報(昭和30.3.10)

    初代拝島橋竣功を報じる昭島市広報(昭和30.3.10)

  • 初代拝島橋の撤去工事(1989.1撮影)

    初代拝島橋の撤去工事(1989.1撮影)