九ヶ村用水の取水口が下流に移った昭和8年(1933)から現在の昭和用水堰が再建された平成13年(2001)まで使われたのが、この「一町二箇村用水樋管」です。以前の9ヶ村が1町(立川町)と2ヶ村(拝島村、昭和村)となったため、名前を改めたのです。用水名は「立川堀」、そして立川離脱後は「昭和用水」へと変わっています。 堤防にある石段に「昭和八年三月通水」の銘文があります。 堤防脇にあるモニュメント(九ヶ村用水樋管と同じ構造)