資料説明
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高さ70.3cm、口径50.6cmで、3段組で鋳上げられている。乳は4段4列で、上帯には文様がないが、下帯には唐草文を鋳出している。2個の撞座は竜頭の方向と平行に位置し、撞座はかなり摩滅しているが、高肉に鋳出したことは明らかである。 池の間には4区にわたり銘文が刻まれている。第1区の銘文には「敬白於上総国菅生庄本郷飯富宮社頭奉再興鋳鐘一口」とあり、当初は現在の袖ケ浦市飽富神社に奉納されたものであることがわかる。しかし、いつ誰によって円福寺に移されたかはわかっていない。作者として第4区に「大工河内権守光吉貞吉」という名が刻まれている。詳細は不明であるが、木更津市矢那付近を本拠とした上総鋳物師の系統をひく人物と考えられている。 第3区には1462年(享徳11)の紀年銘があるが、享徳は4年で改元しているので、正しくは寛正3年となるはずである。こうした改元を無視した年紀は、当時室町幕府と対立していた、古河公方が用いたもので、この梵鐘もそうした時代背景を物語っている。
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