資料説明
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銚子縮は、江戸時代の中頃、銚子で多く生産され、全国にその名を知られた織物である。もとは利根川対岸の波崎で興った波崎縮をもとにつくられたものといわれている。江戸時代後期には40軒以上の機屋と、100軒以上の「出機」があったという。「出機」の担い手は周辺の農家や漁家の女性達であった。各家で織った銚子縮は集荷され、高瀬船に積まれて利根川を遡り、江戸の花街などに出回った。 銚子縮の特徴は、通常の何倍もの撚りをかけて糊で固めた右撚りと左撚りの緯を交互に織り込む手法にある。これを湯揉みして糸の撚りを戻すと表面に緻密なシボ(凸凹)が表れて、サラリと肌触りのよい丈夫な織物となる。このシボ立ちの優雅さにより、諸国の通人たちに好まれた。しかし、手間がかかるために値段が高く、さらに明治時代以降の大量生産で品質が落ちたことなどから、大正時代には衰退し、昭和時代初期にはほとんど生産されなくなった。 第二次世界大戦後、銚子の常世田眞次郎氏が、銚子縮の復活を志し、わずかに残っていた伝承者から技術を習得したり、残された古裂地を研究するなどして、1952年(昭和27)銚子縮独自の超強撚糸機の製作に成功した。これによって銚子縮の再興がなったのである。現在は常世田眞次郎氏の孫にあたる常世田眞壱郎氏がこの技術を受け継ぎ、伝統を守っている。
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