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目録ID mp110380-200110
名称 中島城跡
ふりがな なかじまじょうあと
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(ヨミ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作者
作成者(ヨミ)
作成者(ローマ字)
宛先
宛先(ヨミ)
宛先(ローマ字)
発売者
発売者(ヨミ)
発売者(ローマ字)
年代(和暦)
作成年代(和暦)終
員数
構造・形式等
大きさ 5488㎡
大きさ(縦)
大きさ(横)
大きさ(高さ)
材質
画賛・奥書・銘文等
欠損
収録時間
縮尺
備考
言語コード
ISBN
ISSN
主題
主題(ヨミ)
主題(ローマ字)
地名
地名(ヨミ)
地名(ローマ字)
人物名
人物名(ヨミ)
人物名(ローマ字)
時代
内容年終
内容細目
内容細目(ヨミ)
内容細目(ローマ字)
資料説明 中島城跡は、標高36mから43mの台地突端部に位置し、台地の北東及び南西に入り込む谷によってくびれた部分を城域の北端とし、台地の上から裾部にいたるまで全域に遺構が見られ、東西約500m、南北約400mで、県内中世の城としては規模の大きなものである。
城の形態は、高田川と逆川で外堀を形成し、大手門・水堀・土塁・腰曲輪・土壇等の遺構が認められる。大手門と西木戸以外はすべて60度近い急傾斜地となっており、自然の要害を生かした城である。また、何段もの三角土塁、幾重にも屈折した空堀などの工夫がなされ、本丸(御城)へ攻め入るまでには、難攻不落であったことがうかがえる。
中島城は、海上氏関係の遺跡・遺品・伝承等によると鎌倉時代からこの地方を治めていた千葉氏一族の海上宗家の居城と考えられ、天正18年(1590)に落城したと伝えられている城は、城郭の遺構が大規模に造られていることなどから、戦国時代の築城であると思われる。
資料説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 個人等
原本の所在 千葉県銚子市中島町
カテゴリ区分 風景
種別 史跡、城跡
資料分類(大分類) 記念物-銚子市
資料分類(中分類) 指定史跡
資料分類(小分類)
文化財情報 銚子市指定史跡
上位階層目録ID
関連目録ID
manifest.jsonのURL https://adeac.jp/viewitem/choshi-city/viewer/iiif/bun30/manifest.json
画像メタデータ
その他関連ページ
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自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳の言語
権利関係・利用条件 CC BY(表示)
原資料の利用条件
権利関係 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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緯度・経度・高度に関する注記
指定等年月日 昭和42年2月20日(1967.02.20)
追加年月日
附指定の名称・員数・形態
汎用フィールド19
汎用フィールド21
汎用フィールド22
汎用フィールド23
汎用フィールド24
汎用フィールド25
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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