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恵庭市教育委員会/カリンバ遺跡と恵庭市史料 DIGITAL ARCHIVE
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恵庭年代記
(江戸時代の恵庭を見た男たち)
江戸時代、これらの土地に住んでいたのは、いうまでもなく
アイヌ
民族でした。,しかし
アイヌ
民族は、歴史や物語など豊かな文化を口伝えで伝え、文字を残さなかったため、当時の恵庭の様子を,このなかに漁場所の記述があり、乙名(長)ヌカンランケのもとに一二人の
アイヌ
住民がいたと書かれています。,またイザリブトには立派な番屋や蔵、
アイヌ
の住居が五、六軒あり、豆・ヒエ・アワ・ジャガイモなどを作り、鹿肉,や沼のヒシの実(ペカンペとよばれる
アイヌ
の伝統食)を大切な食糧にしていたことを記しています。
恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
(第七節 前近代の終末)
なお、この時代は、しばしば「
アイヌ
期」とか「
アイヌ
文化期」といわれる。,しかし、当時の少なくとも前半における北海道の在来民の多くが、一民族又は一共同社会的意識をもって「
アイヌ
,そして、この時代は一民族的「
アイヌ
」意識が形成されるに至るまでの過程の時期であり、そのような社会的意識,36 第39図 茂漁のチャシ・コツの濠断面図36 なお、チャシの機能については一様とはみられなく、
アイヌ
,数百年ほど前と思われる在来民の人骨(頭骨)が出土したといわれており、また、後述一〇〇地点においては「
アイヌ
恵庭年代記
(17世紀~1912年(年代記第1部))
文化人と近世
アイヌ
民族の関係、エミシ・中世エゾと
アイヌ
民族の関係をどうとらえるかは、まだよくわかっておらず,
アイヌ
文化期には、
アイヌ
民族の精神文化としてユーカラとよばれる口伝えの詞曲が生まれていきます。,一説では、日の本は太平洋岸から千島の
アイヌ
勢力、唐子は日本海側からサハリンにかけての
アイヌ
勢力、渡党は,民族は、交易を中心として次第に地域的な統一を進め、一説では寛文期に内浦
アイヌ
・余市
アイヌ
・石狩
アイヌ
・シュムクル,争いは石狩
アイヌ
と勇払
アイヌ
、石狩の役人・請負人と勇払の役人・請負人の争いに発展し、解決までに二十数年
カリンバ遺跡史資料
(年表)
遺跡に墓と鉄製品 江別市江別古墳群 AD.1200 柏木東遺跡に北海道式古墳 鎌倉~江戸
アイヌ
,文化期 集落、平地住居と墓 カリンバ1~4 遺跡に
アイヌ
コタン 平取町ユオイチャシ跡 AD.1900
カリンバ遺跡史資料
(遺跡について)
されたおもな遺構は、縄文時代の竪穴住居跡、土坑墓、盛土遺構、続縄文時代の土坑墓、擦文時代の竪穴住居跡、
アイヌ
, カリンバとは、
アイヌ
語で「桜の木の皮」という意味。,カリンバ遺跡は、この川が流れる低地面と、それより2~3mほど高い段丘面に残された縄文時代から近世
アイヌ
,された竪穴住居跡・墓跡 段丘面には、縄文時代から近世に至る各時代の竪穴住居跡、土坑墓、建物跡、炉跡、
アイヌ
恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
(参考文献)
二の問題」『北海道青年人類科学研究会々誌』8 北海道青年人類科学研究会 昭和41年12月 5 同 「
アイヌ
,AYNUMOSHIRI』Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ 北海道学芸(教育)大学考古学研究室・北海道学芸大学(教育)考古学研究会・
アイヌ
モシリ,29 河野本道 『江別市史、第一篇先史時代』 江別市役所 昭和45年3月 30 同 「
アイヌ
文様の起源,第2次調査(略報)」『北海道人類学協会通信』3 北海道人類学協会 昭和39年7月 54 藤本英夫 『
アイヌ
恵庭年代記
(火と土のすがた)
手稲式(ユカンボシE8遺跡) 【縄文晩期の土器】 タンネトーL式(カリンバ4遺跡)
アイヌ
,この後北式土器の文様は、
アイヌ
文様の起源という説もあります。
恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
(発刊にあたり)
その時すでに当時の漁村、島松村には和人、
アイヌ
人合せて約三十戸、百八人が主に室蘭街道沿いに居をかまえ、
恵庭年代記
(大地にくらす)
また縄文人は入墨で顔や肌を飾ったと思われますが、その伝統は邪馬台国や古墳時代の日本、近世
アイヌ
民族、さらに
恵庭年代記
(篤農と呼ばれた男)
そこには先住者である
アイヌ
の住民の名も見えます。
恵庭年代記
(足もとからの手紙)
南と北の影響を強く受けながら、擦文時代は一三世紀前後まで続き、
アイヌ
文化が成立していきます。
恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
(第五節 第Ⅴ期)
また、その写実的な綱文様こそが渦巻き状や中括弧型を呈したいわゆる「
アイヌ
文様」の起源である。
恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
(第六節 第Ⅵ期)
ずるであろうことは、『日本書紀』における地名と今日の地名との発音上の一致や近似性、当て字の一致、また、前者の地名が「
アイヌ
,語」そのもの又は「
アイヌ
語」らしい語として見做されること、そして、『日本書紀』における四か所の地名をセット
恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
(第三章 遺跡各説)
100地点 山岸貢によれば、中島松の南十八号橋からほぼ北側のすぐ傍で、昭和三十年ごろ「
アイヌ
の刀」
恵庭年代記
(1913年~1997年(年代記第2部))
漁川の中州にうずくまる熊を、村民と猟師が遠巻きにするなか、千歳の釜加に住む
アイヌ
の熊撃ち名人が現れ、見事
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