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恵庭市教育委員会/カリンバ遺跡と恵庭市史料 DIGITAL ARCHIVE
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恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
(第三節 第Ⅲ期)
一、柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡―竪穴式住居址四(ないし六)か所、円筒上層式土器(サイベ沢Ⅵ式土器)。,写真9 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡発掘の 第Ⅲ期後半に構築された4・5号竪穴式住居址 昭和45年発掘,46 写真10 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡発掘の 第Ⅲ期後半に構築された6号竪穴式住居址 昭和45,年発掘46 写真11 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡発掘第4号竪穴式住居址出土の円筒上層式土器 昭和,46 第9図 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡で発掘された 第Ⅲ期後半の竪穴式住居址及びその
恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
(第四節 第Ⅳ期)
柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡墳墓群は、この時期末近くに形成されたものであり、西島松南D遺跡の墳墓群もこの,写真17 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡で 発掘された第Ⅳ期後半の墳墓 昭和45年発掘・Pit30・,・北海道開拓記念館蔵・46 写真19 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡の 第Ⅳ期後半の墳墓から出土した土器,昭和45年発掘・北海道開拓記念館蔵・46 写真20 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡の第Ⅳ期後半の墳墓,で発掘された 第Ⅳ期後半の墳墓 昭和45年発掘Pit30 46 第23図 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡
恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
([口絵])
保育所 公営住宅 老人ホーム恵望園 体育施設 スキー場 陸上競技と野球場 高速
道路
恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
(第六節 第Ⅵ期)
彼らのなかには茂漁や柏木川、縦貫自動車
道路
遺跡所在地のあたり、上島松などで、屍を埋められるものがでた。,柏木東遺跡 一四基 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡 一基 上島松遺跡,さらに、柏木川・縦貫
道路
遺跡の例では土玉も出土している。,第29図 鑷子 茂漁附近出土23 第30図 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡で発掘された 古墳様墳墓出土の,柏木東遺跡(R地点) 擦文式土器・「土師系土器」 恵庭公園遺跡(W地点) 擦文式土器 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡
恵庭年代記
(篤農と呼ばれた男)
それと同時に、近隣の移民の世話をし、
道路
や学校の設置など公共のためにつくし、一八八四年(明治一七)からは
恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
(第二次世界大戦後の考古学的調査)
、北海道教育委員会が、一九七二年冬季札幌オリンピックに間に合うように工事の進められた北海道縦貫自動車
道路
予定路線内,写真3 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡発掘の跡 昭和45年発掘跡・46 なお、その調査報告は『柏木川―
恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
(第七節 前近代の終末)
道教委登録番号93地点)にもチャシ・コツがあるとされており、さらに、この地点のほぼ南西方向の縦貫自動車
道路
向
恵庭年代記
(1913年~1997年(年代記第2部))
この大演習に村民は、
道路
の補修や演習場の草刈り奉仕、兵士への接待など、総動員で協力しました。,「弾丸
道路
」が開通 この年一一月、前年から工事が進められていた国道三六号札幌-恵庭-千歳間、三四・,通称「弾丸
道路
」と呼ばれるこの舗装
道路
は、北海道初の本格的舗装
道路
工事で、当時一般的だったコンクリート,◆弾丸
道路
完成のアーチの下を走るトラックと荷車が対照的 ◆空から見た弾丸
道路
(旧国道との分岐点,より速く、より便利に 高速
道路
は、自動車が交通の主役になった時代のシンボルですが、北海道で最初の高速
道路
恵庭年代記
(17世紀~1912年(年代記第1部))
このユウフツ場所とイシカリ場所を結ぶルートは重要な幹線
道路
で、ユウフツ場所惣支配人山田文右衛門(八代有智,)は、文化年間にイザリブト-千歳間の
道路
を開き、千歳-ビビ間の
道路
を改修し荷馬車を通わせました。,駅逓が設けられる 北海道の開拓にあたって、北海道の玄関口である函館と開拓使本庁が置かれた札幌を結ぶ
道路
,そして開拓のために、北海道全域の測量や植民地の選定、
道路
の建設、移住者への手引きの作成などをおこないます,それは、一定の間隔で碁盤の目のように
道路
を敷き、一戸あたり約五ha(一万五〇〇〇坪/一五〇間×
カリンバ遺跡史資料
(遺跡について)
現在は舗装
道路
が完成している 低地面 低地面は生活の場所
恵庭市史 第一編 恵庭地方前近代史の文化
(第三章 遺跡各説)
N地点 柏木川・縦貫自動車
道路
遺跡 本遺跡は昭和四十五年五月より六月中旬にかけて藤本英夫らによって
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