恵庭歴史年表

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No 時代 西暦 恵庭市のあゆみ 出典 関連 備考
1 一七世紀中期 1601 イザリ・シママップ場所このころ成立か p19
2 寛文9年 1669 シャクシャイン蜂起する p20
3 元禄13年 1700 「松前藩支配所持名前帳」にシュマ満布鳥屋・伊茶利布登鳥屋の名が見える p20
4 宝暦年間 1764 飛騨屋武川久兵衛がイザリ川上流でエゾマツの造材を始める p21
5 文化2年 1805 勇払場所惣支配人山田文右衛門が漁太に漁場を設ける
6 文化3年 1806 遠山金四郎景晋、西蝦夷地見分。シママップ・イザリを巡視 p22
7 文化4年 1807 田草川伝次郎、西蝦夷地巡視の帰路に千歳越え
8 文化5年 1808 石狩アイヌのシレマウカ、イサリ・ムイサリの漁業権を訴願 p21
9 弘化3年 1846 松浦武四郎が千歳川をさかのぼり、漁太番屋に小憩
10 安政5年 1858 松浦武四郎が石狩から札幌を経て千歳まで陸路調査
11 明治元年 1868 明治維新で江戸幕府倒れる。幕府脱走軍「蝦夷共和国」を宣言 p23
12 明治2年 1869 開拓使設置。千歳郡・勇払郡が高知藩の支配下に入る p23
13 明治3年5月 1870/5 高知藩七〇余人が勇払・千歳両郡に入植 p23
14 明治4年3月 1871/3 中山久蔵が島松沢(島松川の南側)に入植 p24
15 明治4年12月25日 1871/12/25 樽前山大噴火 p36
16 明治5年 1872 東京牛込出身の村上芳三郎が茂漁橋付近に来住 p24
17 明治6年 1873 中山久蔵が水稲(赤毛種)を試作、一反歩二石三斗を収穫 p25
18 明治6年6月 1873/6 室蘭~札幌間の札幌本道が開通 p25
19 明治6年6月 1873/6 島松沢(島松川右岸)に駅逓が設けられる p25
20 明治6年8月 1873/8 漁利村、漁太村がイサリ村に合併し、島松村と二つの村となる p25
21 明治7年2月8日 1874/2/8 樽前山が噴火 p26
p36
22 明治7年 1874 茂漁地区住民が札幌神社遥拝所として小堂を建立
23 明治9年6月 1876/6 島松沢に郵便局が設置され、山口安五郎が取扱人となる p31
24 明治9年7月 1876/7 今の駒場町、恵南地区に官営の真駒内牧牛場漁村牧場を開設 p26
25 明治9年 1876 漁村~苫小牧間道路六間半に拡幅
26 明治10年4月 1877/4 札幌農学校のクラーク博士が島松沢で教え子たちと別れる p26
27 明治11年 1878 鮭鱒捕獲禁止令によって漁川・島松川のサケ漁に終止符 p27
28 明治13年3月9日 1880/3/9 千歳に「千歳郡千歳村、鳥柵舞村、蘭越村、長都村、漁村、島松村戸長役場」を設置 p27
29 明治13年 1880 十勝でバッタ大発生。大群、勇払から札幌へぬける p27
30 明治14年9月2日 1881/9/2 明治天皇、北海道巡幸の途中、漁村で休憩 p27
31 明治16年11月15日 1883/11/15 樽前山噴火 p36
32 明治18年1月4日 1885/1/4 樽前山噴火 p36
33 明治18年3月26日 1885/3/26 樽前山噴火 p36
34 明治19年4月13~28日 1886/4/13~
1886/4/28
樽前山噴火 p36
35 明治19年 1886 山口県玖珂郡和木村、小瀬川村(現和木町)と麻里布村、装束村(現岩国市)から四〇戸が漁村に、二五戸が島松村に集団入植 p28
36 明治19年 1886 北海道庁が設置される。恵庭は胆振国から石狩国の管内に移る p28
37 明治20年4月 1887/4 医師山森丹宮が漁村に移住 p28
38 明治20年5月 1887/5 浄土真宗大谷派札幌別院が漁村の布教を開始。(天融寺の前身)
39 明治20年 1887 長州(萩)藩士四九戸が集団入植 p28
40 明治20年 1887 私立洞門小学校(恵庭小学校の前身)を漁村の今の大安寺境内に開設 p29
p36
41 明治21年 1888 茂漁に曹洞宗苫小牧中央院の説教所(後の大安寺)を設置
42 明治22年10月 1889/10 江別~恵庭間の道路開通
43 明治22年12月18日 1889/12/18 南島松に私立松園小学校を開設 p29
p36
44 明治23年5月31日 1890/5/31 浄土真宗大谷派説教所(後の天融寺)を漁村二四号に設置
45 明治23年 1890 山森丹宮敷地を寄付、有志の寄付金で巡査駐在所庁舎を設置 p35
46 明治24年8月25日 1891/8/25 茂漁の絵庭神社(豊栄神社の前身)が新築、大祭を行う
47 明治24年10月 1891/10 盤尻用水組合を設立、漁川盤尻地区から取水して約三六ヘクタールを開田
48 明治26年5月 1893/5 加越能開耕社が加賀、越中、能登から移民七八戸を募集して漁太に集団入植 p30
49 明治26年9月1日 1893/9/1 島松村住民が小堂(島松神社の前身)を建立してまつる
50 明治26年 1893 加越能移民が漁川左岸(西三線南一五号)にヒモロギをまつって守護神とし、翌年小社を建立して春日神社と称する(恵庭神社の前身)
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