『筑前国産物帳』(計3冊)は、江戸幕府が諸国に提出を命じた享保・元文産物帳の国元控え本です。
享保19年(1734年)3月、8代将軍徳川吉宗の命により、諸国の産物取調べの権限が本草学者である丹羽正伯に与えられました。丹羽正伯は翌年の春、諸藩の江戸留守居役へ産物帳の編集様式を示して細かい指示を与えました。
これを受けて、福岡藩では6代藩主黒田継高の命により藩儒竹田定之進、藩医小野玄林が編纂担当者となり、2年掛かりで福岡藩領内の産物を調査し、動植物や鉱物など指定された項目に沿って、地元での呼称と特徴、味や効用などをとりまとめ、元文元年(1736年)10月頃、ようやく下書の浄書を正伯へ提出しています。
ところが、11月の下旬には、玄伯から江戸留守居役へ、下書き本の「朱丸をつけた分には絵図を描き、その裏に当たるところに説明を書くこと。朱の山形をつけた分には詳しい説明を書くこと」が求められました。絵図および説明書きの手本が渡され、「産物帳」の説明資料として「絵図帳」の製作が命じられたのです。
元文3年(1738)年に「絵図帳」とともに幕府へ提出した「産物帳」の完成本は現存していないため、今ではその詳細を比べることはできません。この控え本は、一端、完成本とともに幕府に提出され、後に福岡藩へ返却されたものであり、完成本の姿を今に伝えていると考えられます。「産物帳」・「絵図帳」の文章の書上げにあたったのは、永野才太夫・板並六郎の2名です。
本文中に付けられたの○や△の朱書きの印は、「絵図帳」に収録されている項目になります。