解題・説明
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絵はがき-022~024は、同一シリーズ。「習志野」は習志野原陸軍演習場のこと。現在の船橋・八千代・習志野の各市域におよぶ。明治32年(1899)に騎兵部隊の設置が始まり、明治35年(1902)、千葉郡津田沼村大久保新田から千葉郡二宮村三山の地にかけて、騎兵第13 ・ 14連隊の騎兵第1旅団と、第15 ・ 16連隊の第2旅団の編成が完了した。東西約900m ・ 南北約400mの区域に、西から東へ、第13 ・ 14、第15 ・ 16の各連隊が並んでいた。北側の三山地区及び北東側の演習場内へ通じる南北の道が第14連隊と第15連隊の間にあった。旅団司令部はこの道の南突き当たり、第14 ・ 15連隊の南向かいに置かれた。陸軍将兵のための衛戍病院は、第13連隊の西に接して置かれた。 右上写真(騎兵旅団司令部)の三つの門柱の文字は、2本が「騎‥・・部」のようである。「騎兵第一旅団司令部」?と「騎兵第二旅団司令部」?か。もう1本は上3文字が「習志野」のようである。下3文字は「偕行社」(陸軍将校の親睦団体)?か。旅団司令部は現在の習志野市大久保4丁目2他。京成大久保駅方面と船橋市三山方面を結ぶ道がかつての敷地の中央を通り抜けている。 左下写真(衛戍病院)の門柱には「習志野衛戍病院」の文字がある。習志野衛戍病院は習志野陸軍病院に名前が変わり、戦後、国立療養所から国立習志野病院となった。現在の船橋市三山2丁目3・済生会習志野病院の大部分と、習志野市泉町1丁目Iの一部。 写真の年代は大正年間の前半(1912~18)頃か。
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