解題・説明
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明治29年(1896)に創設され、東京府豊多摩郡中野町、現在の東京都中野区中野(JR中央線中野駅の北側)に置かれていた鉄道大隊が、明治41年(1908)連隊規模に拡大し、千葉県に移った。連隊本部・第1大隊・第2大隊・材料廠(倉庫)が千葉郡都賀村作草部他、現在の千葉市中央区椿森他に、第3大隊・材料廠が千葉郡津田沼町谷津、現在の習志野市津田沼・谷津に置かれた。二つの地区は軍用鉄道で結ばれた。時期は明治44年(1911)といわれる。鉄道連隊はさらに大正7年(1918)、第1大隊・第2大隊が第1連隊に、第3大隊が第2連隊に昇格して増設された。 「萩原写真館発行」「複写不許」。五番営宿舎は、習志野原にあって大正元年までに全て取り壊された第一営~第七営(宿舎)の一つと思われる。写真の年代は明治41年(1908)以降、大正元年(=明治45)以前の様子といえる。明治42年(1909)の陸軍用地及び建物補測・明治43年改版の2万分1地形図「習志野」に記された「軍用鉄道」には、「元俘虜収容所」の西寄り区域(後の絵はがき-023糧秣廠辺り)から、演習場内を北西方向に第一番・第二番・第四番廠舎付近を抜け、第五番廠舎まで通じていた演習線がある。敷設は明治41年~42年といわれるが、これに関連するか。第五番廠舎(五番営)は現在の船橋市習志野台3丁目14~4丁目13の一画、NTTの北東側~南東側辺り。なお、この演習線は大正6年(1917)測図の1万分1地形図「大久保」「習志野原」「薬園台」に記されていない。
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