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解題・説明
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絵はがき-130~134は同一シリーズ。絵はがき-134は裏面の文字の形・配置、用紙が絵はがき-130~133に同じであり、同一シリーズとしてよい。「八幡名所」が付かないのは、「魚惣支店」の発行によるためと考えられる。「八幡」は明治22年(1889)~昭和30年(1955)まで市原郡の町名。昭和30~38年(1963)まで市原郡市原町の大字、昭和38年以降、市原市の町名。八幡海岸と最寄り駅の八幡宿との距離は500mほどであった。八幡宿駅は明治45年(1912)、国鉄木更津線(現 JR内房線)の蘇我一姉ケ畸間の開通にともない開業した。蘇我駅から先の千葉駅までは、国鉄房総線(JR外房線)が房総鉄道時代の明治29年(1896)に開通していた。東京方面から潮干狩りや海水浴に多くの人々が訪れるようになった。絵はがき-130~134は、八幡の海が漁場やノリ養殖場のほかに、行楽地として好適な場所であったことを伝えている。写真に見える自動二輪車の燃料タンクには「Indian」の文字が読める。魚惣本店は八幡で最も有名な料亭であったという。松井天山の昭和9年(1934)11月写生「千葉県八幡町鳥瞰」に、本店が「魚惣」、海の家(休憩所)が「魚惣支店」として描かれている。
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