解題・説明
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時期は不明だが、椿が船橋小学校に寄贈し、長く校長室に飾られていた作品。朝日を浴びた堂々たる富士山は、ヨーロッパから帰国した椿にとって、日本の象徴ともいえる題材であった。ヨーロッパから帰国前に妻・隆子に送った手紙には、「真正面からひた押しに押したものが描きたい。大きく堂々とした、盛り上る様なものが描きたい。」(椿貞雄「パリ通信」『画道精進』光風社書店、1969年)とあり、帰国後、油彩画、日本画ともに富士山を描いた作品を制作するようになる。ここに題材、画材において、日本、西洋という枠組みをせずに、日本人の精神を油彩画で描こうとした椿の姿勢が表れている。椿はこの作品のほか《富士山(精進湖)》を船橋市中央公民館に寄贈しており、これらの作品は現在船橋市の所蔵となっている。
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