函館付近の新生代第3紀層の最上部を占める富川層(鮮新世)は、上磯町富川付近では北西から南東の走行で、北東に25~35度の傾斜を示す。同じく水無付近でも北西から南東あるいは南北の走向で東に25度傾斜する。添山川の峩朗(がろう)付近でも富川層は北東から南西の走向で東に26度の傾斜をもち、陣屋でも同層は北東から南西の走向を示し、南東に32度の傾斜を表わす。大野町の大野川沿いの富川層も同じく東に傾斜しており、しかも東進するほど急傾斜となる。これらの事実は富川層が函館平野西部においていずれも東に向って傾斜していることを示す。
函館平野(盆地)の東部では富川層が見出されないので、第3紀層と地形との関係は明らかでなく、小向良七(1956)の図示するごとく、断層によって形成されたかもしれない。しかし少なくとも盆地西縁は造盆地運動によって形成されたものと推定される。