変化に冨む生物環境

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 渡島半島はその背稜(りょう)として渡島山脈がほば南北に走って松前半島の南端に及び、また亀田山脈が七飯岳付近から分岐して亀田半島の背稜となって東に走り、東端の活火山恵山に終っている。主峰はいずれも標高1000メートル前後で、他は一般に丘陵性で低い。しかし、独立峰、岩峰、溶岩台地、向陽平原、侵食谷、新旧火山などを含み、極めて変化に富んでいる。
 河川、湖沼、湿原なども大小さまざまな姿でその間に介在または点在して一段と変化を与え、海岸線もまた外洋、内海、内湾などの各種の様式を見せ、砂浜、砂礫(れき)浜、懸崖(がい)などの環境を造っている。海流も対馬暖流が西岸を洗い、東岸は親潮寒流の影響下にあって、津軽海峡には寒暖両流が交錯(さく)、流入して潮境を造っている。
 このように変化に富んだ地形が、「国定公園大沼」をはじめ、随所に美しい景観を造り出しているが、それはまた生物に対してもさまざまな生息環境を提供していることになる。従って、函館地方の生物相は過去においては極めて豊富であったと推察される。
 しかしながら、当地域は北海道としては早くから和人の進出を見、開拓が始められた地域であるだけに、また、明治以降の急激な人口増加、農地の拡大、森林資源の利用、都市としての発展などにより自然の原始性はほとんど失われ、生物相もまた時とともに貧困化を深めて今日に至ったものと思われる。特に戦後は、農薬や除草剤の過度な使用、市街地の拡張、宅地の造成、レジャー施設の拡大などによって、市郊外の生物環境としての緑地の大半が失われたばかりでなく、淡水系の生物や昆虫類などの激減または滅亡に拍車をかけた。
 そのような中にあって、明治31年から終戦の昭和20年まで、約半世紀にわたって軍の要塞(さい)として人為的に保護されてきた函館山は、今もなお、深々とした緑に覆われ、四季おりおりの麗しいたたずまいは市民の心に深く象徴化されて、市の貴重な緑地環境となっているが、それとともに、この山に包含されている生物相は、またと得難い地理的分布の生きた資料として極めて価値の高い存在である。