ブラキストン・ライン

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 日本アジア協会というのは、当時の京浜地区に居住していた欧米知識人学者などの集まりで、明治9年、日本政府の招きで東京大学教授として来日していたジョン・ミルン(John Milne)も有力な幹部会員であった。ミルンは地質学、鉱山学、地震学などを講じ、また地震計を作るなど、今日、世界に冠たる日本地震学の黎(れい)明期に大きな貢献をした英人である。ブラキストンの学説は、当時としては非常に斬(ざん)新な論旨であっただけに、多くの学者に深い感銘を与えた。ジョン・ミルンも大きな感動を受けて、ブラキストンの業績を激賞し、その功をたたえて、津軽海峡を生物地理学上ブラキストン・ラインと呼称することを提案した。