初期の観測器

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 気象観測のための観測測器やその方法は、函館気候測量所創設以前はどのような状態であったかはつまびらかではないが、諸外国では早くから寒暖計などの測器が作られ、開国前後の日本に入って来ていたようであるから、箱館奉行で行っていた観測にも、ある程度これらの測器が用いられていたようである。
 その後、アルブレヒトブラキストン等による観測は、彼らが自国から持込んだ測器を用いていたことが明らかであるから、当時の日本としては、超一流のものであったと思われる。
 明治5年の創業時には、前にも述べたように不十分であった観測測器も、明治7年には何らかの種類の風を計る測器が備えられ、その後明治9年には最高最低自在記寒暖計(構造など不明)をはじめとして次々に整備され、観測の時間も地方時の9時、15時、21時の1日3回の観測に始まり、明治14年からは万国同時観測として、21時23分に気象観測を行って、東京気象台を通じて、米国のワシントンにその結果を送っていた。