明治12年高砂町に移転のころの函館測候所
北海道への所属期間が、明治19年以来53年間続いたあと、昭和14年になって国に移管され、中央気象台の所属となり、昭和31年に気象庁所属となって現在に至っている。
この間1世紀にわたる観測の場所は、明治5年函館区船場町9番地を最初として、明治12年函館区高砂町19番地に移され、大正2年に火災で焼失して海岸町の函館築港事務所構内の仮庁舎に移り、大正5年には北海道庁函館築港埋立地内に本庁舎を建ててこれに移ったが、大正12年には、鉄道用地拡張のため立ちのきを余儀なくされ、海岸町の官有地に移築し、昭和15年になって現在の赤川通町の庁舎に移るなど前後6回も観測場所を変えている。
また、この間、昭和9年の函館大火の際には、風力計台の鉄骨、風信器(風向計)、風圧計、および日照計などの屋上取付測器全部が吹き飛ばされ、ほとんど破壊されたことなどもあった。
気象観測の条件として、自然のままの空気の様子を正しく測るため、わざわざ人里はなれた郊外に観測所を建てるのが常であるが、現在の場所もかつて昭和15年に新設されたころは水田地帯の真中にあり、その庁舎は遠く五稜郭付近からも望見できたのであるが、このごろは都市化の波が年と共に激しく打寄せ、周囲には舗装された道路が完備されて交通量は昼夜を問わず頻繁となり、また、高層ビルなども近くに建てられるようになって、気温、風その他の観測の条件は日一日と悪くなってきており、観測測器や観測項目の近代化が進む一方で、新たな問題が起こってきている。