昭和29年春、寿都郡樽岸の五十嵐から発見された縦長の大きな石器が鑑定依頼のため市立函館博物館に送り込まれた。これまでの縄文時代遺跡では見られない石器技法によったもので、夏に現地を調査した際、遺跡から同じ系統の石器を幾つも発見することができた。これより5年ほど前の昭和24年に、群馬県新田郡笠懸村大字阿佐美字岩宿で土器を伴わない石器だけの遺跡が発見された。このころ日本の学界では旧石器時代の存在が認められていなかった。岩宿の石器類は関東ローム層中に包含されていて、これまでの沖積土層より下部にあることから旧石器時代のものと考えられ、縄文土器の時代より古い旧石器の存在がにわかにクローズアップされようとしていたころである。北海道でも北見や遠軽地方に旧石器技法によった石器が確認されつつあったが、樽岸の石器は縄文時代で最も古いとされていた
住吉町遺跡のそれをしのぐものであったため、博物館では早速調査準備にかかり、昭和29年10月1日から本格的な調査に入った。これが北海道で最初の旧石器時代遺跡の調査である。調査には地質学担当に北海道大学理学部教授湊正雄、考古学担当には北海道教育大学教授河野広道、北海道大学医学部講師大場利夫、明治大学文学部教授杉原荘介らそれぞれ専門家が参加した。石器の包含層が沖積土壌であるか洪積土壌であるかは、その地質年代による段丘形成と土壌の鉱物組成によらなければならない。地質学者湊の参加は、
樽岸遺跡の石器が洪積世のもので、旧石器時代の裏付をより確実なものとした。北海道の旧石器時代の調査は
樽岸遺跡に次いで白滝遺跡などの調査へ続き、また、個人的な調査から専門家の協力による組織的な調査へとなってゆく。
「樽岸」報告書(左)と旧石器(上)
(市立函館博物館蔵)