この貝塚から出土する主な土器は前述のように余市式土器で、わずかに東北地方の榎林式や十腰内Ⅰ式が含まれる。煉瓦台貝塚の余市式土器は大谷地貝塚出土のものと装飾などに多少の違いもあるが、その一般的特徴は器形が円筒形で、口縁部や底部にかけて粘土紐が付けられていることである。地文はほとんどが単節の斜行縄文であるが、平行する粘土紐と粘土紐の間には地文の縄文を施していないものもある。粘土紐は口縁部に平行して2本または数本を一定間隔をおいて貼りめぐらし、その間に更に縦に貼付している。粘土紐の幅は土器の大きさによって多少異なるが、約1.5センチメートルである。粘土紐の上面には縄の原体を回転して施文するか、笹竹などの細い棒の先端で刺突した点列文が付けられる。粘土紐の飾りのない土器は、曲線的な沈線文で飾り付けられている。土器の造りは輪積み法で、粘土をあらかじめ幅広の輪にして、それを積み重ねて造られる。胎土には織維がなく、小さな石や砂の混入が認められる。粘土のつなぎに川砂を入れたものであろう。土器の底に、木の葉や笹竹を薄く割いて編んだ敷物様の痕(あと)が付いている。これは土器造りの際、回転台の代わりに木の葉や敷物を用いたもので、いたどり、ぶどう、ふきの葉が用いられ、敷物は平織りである。北海道の縄文土器で回転台の代りに木の葉や敷物が用いられたのはこの時期が最初である。敷物の痕を型取りして見ると精巧な技術があったことがわかる。遺跡から現物は発見されていないが、かごなどの編物や敷物といった工芸品もいろいろあったのであろう。