装身具

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 縄文人の化粧や装身具は、土偶からも想像されるが、未開民族の風習などから推理する場合もある。土偶の顔面文様には「入墨」がある。入墨は成人になった男性や、結婚に関係する女性の入墨もあって、体の部位すなわち手足や顔に付ける文様や図柄が異なり、民族によっても異なる。中には顔料を用いることもあり、魔よけなどの信仰と関係することもある。
 美しく装い飾ろうとする気持ちは現代人と変わりはないが、この時期の装身具は権力者あるいは勇者といった特定の者が身に付けたものであろう。出土する装身具には数少ない宝石の類が選ばれているが、中には土製、骨角製のものもある。遺物の中でも装身具の出土例は少ない。種類としては耳飾り、胸飾りなどがあって、単独で、又は、幾つかをつないで用いるものがある。飾り玉には平玉、なつめ玉、管玉があり、縄文後期には原石の良質部を磨き上げた厚味のある平玉が多い。日吉遺跡の墓からは3点の翡翠(ひすい)玉が出土した。直径1センチメートル程度の小玉であるが、その内の1点は「みかん」のような形に作られ、透明度の高い緑色で、わずかに乳白色部を含んでいる。3点のうち1点だけが墓壙の東寄りに離れていたが、首飾りにするために、翡翠玉の間に他のものをつないで使用していたものであろう。

土製耳飾り(北桧山、豊岡遺跡出土品)

 狩太の北栄にある環状列石墓からは、「いも虫」形の硬玉製の飾り玉と臼玉が出土している。いも虫形の飾玉は長さ3、4センチメートル、厚さ1センチメートルほどで上部に小穴があけてある。臼玉は大きなものでも1センチメートルで、1か所から発見される数は2点ないし4点と少ない。日高の御殿山B1号墳では30点以上の飾り玉と漆塗りの櫛が出土している。飾り玉の方は連になっていて、半月形の中央に穴をあけた飾り玉をもとに臼玉をあしらい、やや大きな平玉を加えている。斜里町朱円の栗沢台地にある環状土籬では土手の中に環状列石墓があって副葬品の玉が出てきた。その中に琥珀(こはく)製のなつめ玉と臼玉があって、なつめ玉は偏平で2センチメートルほどであるが、縦に穴があけられている。臼玉は1センチメートル以下で本州の古墳時代には多く見られるが、琥珀製飾り玉は道内でも北部に多い。琥珀は樹脂が化石になったもので、あめ色の美しいこの石は北の地方の貴重な宝石でもあった。
 朱漆塗りの櫛は道南地方ではいまだ出土しないが、日高御殿山遺跡の積石墓からはかなり発見されている。透(す)かし彫(ぼ)りのあるものとないものがあって、歯はいずれも欠けているが、頭部が前掛け形をしていて両端の耳が内側を向いている。透かし彫りには、かっこ文と井桁(げた)文があって、透かし彫りのないものは横線文が付いている。櫛の大きさはほぼ同じで、縦5ないし6センチメートル、幅6ないし8センチメートル、櫛の歯は丸味のあるものを植え込んでいる。縦形のこの櫛は頭飾りにしたものであろう。材質は後述する籃胎漆器(らんたいしっき)のように、松科の樹皮を粉末にして樹脂で練り合わせて形を作り、漆をかけて仕上げている。これは北海道における漆塗り技術の存在を伝えた最初のものである。漆塗り技術は、やがて縄文晩期の土器の装飾にも用いられるようになる。