石刀と紡錘車

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石刀の柄頭文様(女名沢遺跡出土)(市立函館博物館蔵)


女名沢遺跡の紡錘車(市立函館博物館蔵)

 函館の女名沢遺跡など亀ヶ岡式土器の遺跡から特殊な石器が出土している。刀を模倣した石刀と紡錘車と考えられるものである。石刀は磨製で石質は粘板岩や片岩で、大きさは普通長さが30ないし40センチメートルほどで、小形のものは10センチメートルである。発見された量も多いが完形品は少なく、ほとんどが破損品である。これはある目的で故意に破損したものかも知れない。形態は直刀と内反りのものと2種類があり、内反りのものは刃先が尖っている。柄頭(つかがしら)は梯(てい)形、長方形で横長のもの、円形のものがあって、文様を彫り刻んでいるものは少ないが、S字文、Ⅹ字文、入組文が施されている。また、柄頭に角(つの)などをはめ込んで飾った象嵌(ぞうがん)式のものもある。柄を握る部分の茎(なかご)と刃部の境目に「まち」と呼ぶ段付きのものも作られている。これらは日本で出土する刀の形態と異なって、中国の青銅製刀子に似ている。昭和29年11月に山形県の西北部で県境に近い三崎山から青銅製刀子が発見されて話題になったことがある。この時東北地方や北海道南部で出土する石刀との関連も考えられた。青銅製刀子は柏倉亮吉の研究で、中国の安陽で出土した青銅製刀子に似ていることが指摘されたが、李済の″殷墟銅利器の編年系統論″によって、殷代の盛殷時代の製品であることがわかった。亀ヶ岡式土器の時代を中国の時代に対比させると西周から東周(春秋・戦国)の時代で、殷の時代は更に1000年以上も古く、山形県で発見された青銅製刀子と石刀は直接関係がないようである。しかし、春秋時代はいわゆる覇者が台頭して文化が四方の国々にも広まった時期であり、その影響を東北地方や北海道南部が受けたこともあり得るであろう。例えば前述の籃胎漆器も、どうしてこの時期に東北地方に出現したものであろうか。
 紡錘車と考えられる有孔円盤は、石製と土製があり、泥岩や粗面岩の石製品には片面または両面に文様が彫り刻まれているものがある。大きさは石製、土製ともほぼ同程度で、直径5、6センチメートルのものが多く、厚さは6ミリメートル前後である。石製品には粗製品が比較的多く、周縁を打ち欠いてから研磨して整形するが、研磨が部分的であったり、両面が剥離しただけの面であったりする。文様は同心円文などであるが、幼稚な線描きで、何を表わしたのかわからないものもある。土製有孔円盤は、土器片を利用したものがかなりある。円形に周縁を打ち欠いて研磨し、中央部は石製品と同様に石錐で穴をあけている。粘土を仕上げて焼成した土製有孔円盤もあるが出土例は少ない。
 紡錘車の出現は、機織技術と関連して織物、布の存在を意味する。中国では龍山(ロンシャン)文化と言って殷の以前から紡錘車が現われ、日本では九州を除いて一般的には弥生時代になってから出現する。亀ヶ岡式に伴う有孔円盤を、紡錘車とは考えず衣服の装飾品などと見なしている人もいるので、はっきりと紡錘車と断定することはできない。しかし、女名沢遺跡からは布の存在を暗示する土偶が出土した。裸体に褌(ふんどし)をしめている土偶で、細紐を付けた布を後ろから前に持ってきて紐で締め、その紐を再び後ろに回している。九州における例のように土器の底などに布の痕跡が残っている場合もあるが、この土偶の褌から布があったことが推察される。