〈江別Ⅰ式〉 恵山式土器に見られた細頸壷形土器や、ボール形、カップ形の土器が姿を消し、かめ形土器は深鉢(ばち)形土器、倒鐘形土器へと単純化の傾向を示すようになる。底が小さく不安定であるが、体部の縄文文様は恵山式土器に盛んになった帯状、縞(しま)状の縄文が主体で、原体を斜めにして回転し、並行する縄文の条が単位となる施文法を用いている。化粧土の使用は江別Ⅰ式からⅣ式にまで伝承される。帯状の縄文は縄文原体を胴部から底部に回転して施文するが、土器によって口縁部や体部の上半部に原体を横位に回転施文して、縄の帯状文を装飾的に施している。恵山式土器に見られなかった文様要素としては、土器の口唇部を厚くして短刻線を付けたり、口縁部に細い粘土紐で短い縄を張り付けたように配列したものや、口縁部から体部の帯状文との間に刻線文、半月形刺突文を連続的に付けたり、平行沈線を加えたりしている。
〈江別Ⅱ式〉 土器製作法や地文となる縄文の施文技術は江別Ⅰ式と変わりないが、壷形土器に口縁部の外や内に耳や把手を持つものや、底部に装飾文のあるものなどが現われる。文様では江別式の特徴である網目や籠(かご)目の装飾文が口縁部から体部に付けられる。この文様は擬縄文と呼び、あたかも縄を張り付けたような浮文で、細い隆線状の粘土紐を貼(ちょう)付して、縄のように粘土紐の上に刻み目を入れたものである。これは江別Ⅱ式の特徴的な施文である。
〈江別Ⅲ式〉 器形に変化が見られ、懸垂用の壷や片口土器、袋耳形土器などが現われる。文様も網目や籠目の基本的な構図に、円形や括弧文が加わって変化し、アイヌ文様に似たものなども現われる。この装飾文は土器の全般に及ぶものであり、白や赤の彩色土器が造られ、土器形式の最も発達した時期と言える。施文では擬縄文に代って山形微隆起線文が発達する。これは帯状縄文を装飾的に施文したあとに、精選した良質粘土を細く紐状に塗ってからその両側を、へらでなでるため断面が山形になり、その稜(りょう)線が微隆起している。変形した網目文と円形文や括弧文は、この山形微隆起線文で施文されている。江別Ⅲ式にはあらかじめ円形文や括弧文を帯状縄文で飾り、それを囲むように山形微隆起線文を施文した土器群がある。この土器群には帯状縄文の代りに縄目のように三角形の点列文を加えていることがある。この手法は、片口土器や土器の口唇部にも用いられている。江別Ⅲ式は、器形、施文方法などから更に新旧の細分も考えられているが、本州の東北地方まで広く分布するのはこの江別Ⅲ式が最も多い。
〈江別Ⅳ式〉 山形微隆起線文がなくなって、装飾的な帯状縄文や縄目のような三角形の点列文になる。器形には壷形が見られなくなり、江別式特有の、底部に安定感のある鉢形が主となり、次いで片口土器や注口土器と種類も少なくなる。江別Ⅲ式のような華やかさは土器には見られない。土器の口縁上部に刻みを付けた隆起線を残し、直線と曲線による帯状縄文の簡素な文様で、地文は無文である。中には朱の彩色をした土器もあるが、これには帯状縄文の上にだけ彩色したものと、地文に帯状縄文がなく、幅広の線描き彩色したものなどがあり、これらは墳墓からよく出土する。
土器の簡素さと共に、石器においても定形化されたものはほとんど見られず、わずかに石鏃が発見されるのみで、これらの現象は金属器の普及によって木器など土器に代るものが発達したためでないかと考えられるが、今のところ木器などは発見されておらず、その原因も明らかではない。
江別式土器(上左より、江別Ⅰ式、江別Ⅱ式、下江別Ⅲ式、江別Ⅳ式)(市立函館博物館蔵)