鰯漁

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 鰯(いわし)は『松前志』(天明年間著)にも「東部此魚多し」とあり、箱館地方の海域でも鰯漁があったことが知られる。しかし従来は、これを漁し、生で販売し、または塩蔵して地方住民の食料に供するに過ぎなかったが、これも寛政年間に入り鰯を目的にして特に漁場を設け、搾(しぼり)粕を製造して肥料として輸出するようになった。