イルクーツク民政長官の書簡

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 この時リコルドが提出した民政長官の書簡は、非常に長文にわたるものであるが、その一部を要約すると、「(文化五年)六年前オホーツクの埠頭に、フォストフ及びダヴィドフの商船二隻到着いたし、此船がクリリッケ諸島なる日本領の村落を襲ったよしなので、我帝王に奏したところ、右悪事を相怒り、その上彼らは我侭にあえてロシア政家の名を用いた事跡を承り、厳しく吟味いたし、国法の刑罰を行なったため、最早や存命仕らず」とあり、更に「日本御政家にて、右のフォストフ及びダヴィドフの我侭なる仕業は、ロシア政家の命に依って仕候儀と思召され候とは存じ奉らず候儀は、敦厚ロシア帝王不適の儀、且其仁義ある情態に遠ざかり候事に御座候。奉使を受けさせられざる儀に報い、日本の村落に乱妨して平人を苦しめ、其上二艙の小き商賈の船を、我帝王の公事を以て差遣候と申儀は、実々不相当の儀に御座候」と、フォストフらの乱暴はロシア政府の意図でないことを述べ、またオホーツク長官の書簡には、フォストフらの略奪した兵器・財物は散逸して収集し難い旨を述べているものであった。